喫茶『sunny spot』
此処は俺のバイト先。
一通りの作業を終え厨房からおおよそ客がいないのをいいことに談笑でもしてるだろうマスターと恵のいるフロアの方へと戻る。
しかしそのフロアには予想とは反しマスターが一人煙草をふかしながらカウンターに寄り掛かっているだけであった。
(どうかしたのだろうか・・・)等と考えながらもマスターに話を聞くためにマスターの前に座ろうとカウンターの席に座ろうとした瞬間に甘い香りがした。
この香りは俺が間違えるはずがない。
彼女・・・恵は何かいつも甘い香りがしていた。
香水か何かなのかはわからないけれども、その香りにいつも癒されていた。
もちろん今回もその香りもしたのだがそれ以外にも香りはしていた。
俺はカウンターを覗き込む形を取り・・・
そしてその時俺はこの甘い香りをどうかしないといけないと俺は
「恵、食うのはいいけど客用だから程々にしとけよ?」
「ふぇっ!?」
正直そう思った。

窓先の陽だまり〜Sweet fatal dose〜

12月25日クリスマス。
時刻は午前4時。
こんな時間に俺が何をしているかというと・・・
ただひたすら菓子を作っていた。

それは遡る事2時間前。
柳川恵に告白されてから数時間たって日付も変わり再び朝日がやってくるまで数時間という頃、俺の思考はやっといつも通りに戻りつつあった。
(・・・あれって告白だよな・・・という事は俺たちは・・・)
しかし再び俺の思考は変な方向へ向き始めていてた。
そんな状況である時に携帯が鳴った。
着信相手は・・・
(恵かな?)っと少しでも思ってしまった自分に少し嫌気も見えてとりあえずいつも通りにと携帯を手に取り電話にでた。
その相手は・・・マスターだった。

『メリークリスマース!!』
スピーカーが壊れんばかりの大声で叫ぶマスターに俺は堪らず携帯から耳を離す。
「はいはい、メリクリメリクリ・・・っで何か用ですか?」
俺は嫌な予感がしながらも問いかける。
『今日はクリスマス。なので今すぐ店に来い。以上』
その一言を残し通話は切られた。
俺は訳も分からないまま外出する為に着替え店に向かう。
(クリスマスパーティでもするのか?)
急いで身支度をしながらもそう考え俺は親へ書き置きを残しふと、思い出し自分の部屋の机から1つの小包を取り出し家をでた。
だが、そんな考えは甘いものだとすぐに思い知らされることになる。

昨日・クリスマス・イヴ。
バイト帰りのいつもの状態。
柳川と一緒に帰宅路につき、その時俺は柳川に告白しようとしたが結局できず仕舞いだったところから突然の柳川からの口付けと告白。
俺は何もできないままその時は唯立ち尽くしていた。
そんな状況で彼女は颯爽と去っていったのだが、俺はその時の返事とその日彼女に淹れてもらったことの感謝を忘れているに気付き俺は慌てて追いかけた。

「恵!!」
俺は彼女の姿が見えた瞬間にそう叫んでいた。
彼女はT字路に差し掛かる寸前の所でやっと声が届いたらしく、立ち止まり俺の方を向いてくれた。
「なに?雅君。このまま私の家にまで来るつもり?私は別にいいんだけど・・・」
恵はあの告白の時みたいな悪戯っぽい笑みで言ってはいたものの、少し冷静になっている今から見れば少し頬を赤らめているのは笑みからくるものではなく、どことなく羞恥からきているようなもののような気がした。
そんな考えをしながら俺はあの時の答えと自分の想いを伝るために口を開いた。
「俺は・・・
俺が口を開いたその瞬間に大きなエンジン音と目も眩むような光と共に大きなトラックが彼女のすぐ後ろを通り過ぎて行った。
「今、国立の学校ができるからって頻繁にトラックが通ってるんだよね〜。まったく迷惑してるんだけど・・・っでなんって言ったの?」
(何かタイミング逃したなぁ・・・)
なんて思いつつ俺は適当な言葉を紡いだ。
「コーヒー、旨かったよ。ありがとうなって事だ。」
「そっ・・・それだけ?」
恵はあの笑みが崩れ素っ頓狂な表情になりそう俺に問う。
「そっ、それだけ。この辺トラック多いんだろ?気をつけて帰れよ?じゃあな」
俺はそれだけ言うと踵を返し少し早歩きで来た道を戻っていった。
「・・・雅の馬鹿・・・」
そんな恵の呟きが聞こえた気がした。

俺は昨日の事を思い出しながら店に向かっていた。
多分今の俺を見たらさぞ気落ちの悪い笑みが浮かんでいるのだろう。
だが幸いにもこんな深夜の田舎町に歩いている人なんている訳もなく特に誰かとすれ違う事もなく店の前にたどり着いた。
「っと・・・案の定店に明かりはついてないわな・・・」
この店・・・喫茶『sunny spot』のマスターは事務所兼厨房兼自宅として店の奥の部屋に住んでいる。
そのため、自宅のみに用事があったり、従業員たちはそちら側の玄関・・・つまりは裏口の使用を義務付けられている。
俺はいつも通りに裏口に回りドアノブを回し中に入ると部屋は真っ暗だった。
電気を点けて部屋を見回してみるとテーブルの上に一枚の紙が置かれていた。
(何だろう)
その疑問を解決すべく、俺はその紙に目を通した。
其処には俺を絶望させるのに十分な事が書かれていた。
その紙には・・・
『クリスマス用の菓子制作頼む。数量は・・・菓子の製作を放棄及び失敗した場合は覚えとけ?』
俺はその紙から目を放し厨房をみるとそこには・・・菓子の材料が山となって置いてあった。

この店・・・喫茶『sunny spot』には俺が来るまではドリンクメニューしかなかったらしい。
実際、俺がバイトを始めた時には本当にドリンクメニューしかなかった。
そこで俺が「せめてサンドイッチ位作ったらどうです?」という提案の下、第一回喫茶『sunny spot』料理大会が開催された訳だが・・・
結果は酷いモノだった。
作成物はクッキーだったのだが、三人揃って料理を開始したところ・・・
恵は料理は苦手らしく、クッキーが一向に焼ける兆しを見せなかった。
一体どうしたらこんなものになるのだか・・・と思っていたのだが、マスターはそれ以上であったりした。
マスターが完成したと言うので見たところそこには・・・熱々の・・・うどんができていた。
当然の如く俺の思考はストップした。
(なぜ、隣で作っていて同じ材料で製作したのにうどんが完成してるんだ。)
そのまま硬直していても埒が明かないのでとりあえずそのうどんを食してみると・・・この店の前はうどん屋で修業でもしてましたか?というレベル。
そんなこんなで唯一まともにクッキーを製作できた俺が喫茶『sunny spot』の調理担当となった。
間違いでも旨いうどんが製作できたマスターが作ってもいいんじゃないかと反論はしてみたが、「俺が今再び同じ材料を出されてもうどんができるとは限らん。客にはちゃんと注文通りに出せなければ意味がない。」との事。
普段はどうしているのかと尋ねたら「とりあえず、食えないものができる訳ではないからいい。」だそうだ。

そんなこんなで俺は現在午前4時・・・クリスマス用の菓子を製作していた。
「まったく・・・これだけの量を家庭用の調理器具で作れというのがおかしい」
と悪態を吐きながらも俺は只管菓子の制作に取り掛かっていた。
この店の調理器具はごく一般の家庭と同じモノしか置いてない。
下手をすれば2、3世代昔のモノだったりもする。
しかし、その代り飲み物を淹れる器具に対しては1級品が取り揃えてある。
俺はあまり器具の値段とかはわからないがマスター曰く
「お前の給料3年分ぐらいタダで働いてくれれば1つぐらいやる。」
とのことなのでそれぐらいの価値はあるのだろう。
しかしながら、今回菓子を作る量は本気で半端ではない。
焼ける時間を待っている間違うモノや次のモノを製作していても家庭用のオーブンでは焼ける量に限界がある。
だからこの量を見た瞬間に俺は
(・・・朝までやって完遂できるだろうか・・・)
と疑問と不安が生まれていた。

午前6時 陽が昇り始めてあたりが薄らと明るくなった頃、マスターは店にやってきた。
マスターは家であるはずのここで暮らしているはずなのだが、何故か裏口が開き何食わぬ顔で上がってくる。
確かにマスターの家なので何食わぬ顔で上がってくるのは普通なのだが、なぜ家に昨日からいなかったのか、何処にいたのかと疑問が沸く。
そんな考えを見通したのかマスターはボソっと独り言の様に呟いた。
「俺は普段ここで暮らしているわけじゃない。」
俺は黙々と菓子づくりをしながらもテーブルに座り呟き続けるマスターの言葉を聞く。
「俺が此処で寝泊まりするのはお前たちが学校に通っている間だけだ。冬期休みやら長期休暇になれば俺は家族の元に行って暮らしている。」
尚も続く呟きに疑問を投げかけたくなったがそれは話の腰を折りこれ以上の話をしてくれないだろうと思い、やはり黙々と作り続ける。
「一年の半分以上はここに居るわけだが、やっぱり家族が恋しくてな・・・だからお前達が冬季休暇になったので俺は帰ったわけだ。・・・ところで後どれくらいで俺用のケーキが焼きあがるのだ?」
俺は無言で手元にあった焼きたてのクッキーを投げつけてやった。

午前7時
普段より1時間遅い開店で朝の常連の顔も少し少なかった。
マスターはあれからすぐに店の方へ行き開店準備をしていた。
その後テーブルにコーヒーを1杯置いてくれていたのはマスターなりの気遣いなのだろうか。
俺はまだ菓子の制作が終わっていなかった。
唯闇雲に作ればいいわけではなく、指定もないただ、個数だけの指示と材料の山からクリスマス風に仕立てなければならない状態は作る時間よりも考える時間の方が要したかもしれない。
そしてあと少しという所で再び裏口が開かれる。
その瞬間、微かな甘い香りがした。
今作っている菓子の匂いではなく・・・あの香りが・・・

午前8時
俺の菓子制作は終了を迎え少し休憩を貰っていた。
流石に5時間は菓子の事ばかりだったので疲労はピークといってもいいほどであった。
俺はふと、昨日の可笑しな店について思い出していた。

24日・午後11時30分
恵と別れた後家路に着くと其処には見慣れない店があった。
いつもは通らない店と家を繋ぐ最短ルートを通っている最中目にとまった。
ココを通る際はいつも急いでいるので店なんて気にしないのだが、この住宅街にただ一つ異様な雰囲気を醸し出している店が一軒。
魔法器具店『窓先の陽だまり』
こんな深夜にも店のドアには『OPEN』の文字が躍っていた。
こんな時間に開いているだけでなく、何か言い表しがたい雰囲気がここにはあった。
俺は何故かこの店に吸いつけられるように店のドアを開いていた。

「いらっしゃい・・・」
ずいぶんと無愛想な挨拶が聞こえた。
俺はその声を元に辿ると其処には一人の青年がいた。
(この店の人だろうか)
と思いながらも俺はこの店について尋ねる。
「あの・・・ここって魔法器具店なんですよね?・・・魔法器具ってなんですか?」
俺はそう尋ねるとその店員がめんどくさそうに答えた。
「・・・ほしいモノを此処に持って来い。会計の時に教えてやる。」
と、まぁ全然答えにはなっていなかったのだか。
俺は店を見渡し商品を見て回る。
店自体は大きくなく、それなのに狭いという感覚を与えない。
なのに商品は異様なほどの数があった。
(しかし・・・これは何か買わないと出させてくれないだろうな・・・ん?)
俺は大きな出費になりそうだと思いながらも一つなぜか目にとまった商品があった。
それは・・・

俺はソレを持ちさっきの店員の元へ向かいソレを差し出す。
ソレを見た瞬間に店員は少し笑ったような気がしたが気にはしない。
「お前、これ値段見たか?」
俺はもしかしたらめちゃくちゃ高い値段だったのか?と慌てて値札をみるとそこには・・・
¥200(ペアにて)
と書かれている。
むしろ値段の低さにびっくりする。
「普通なら壊れているとか思って手を出さないんだがな・・・まぁ、お前さんが欲しいというなら売ってやる。どうせ思い人でもいるんだろ?」
その店員は意地悪い笑みをしながら紙に何かを書いている。
「これがコイツの使い方だ。わからなかったらもう一度ここに来い、ちゃんとレクチャーしてやるよ。まぁ・・・使うかどうかはお前さん次第だ。」
そう言うと店員は金を要求し払うと小包にソレを入れて紙と共に渡された瞬間俺の視界が揺らいだ。

何故か俺は店の外に立っていた。
店の方に顔を向けてみると『Close』の看板が掛った店があった。
何だったのだろうかと疑問に思いながらも店の前を後にする。
2つの小包と紙を持って。

「いい加減店に出てくれ〜」
マスターの催促が聞こえ俺はつかぬまの休憩を終え店の方に出る。
とりあえず、今日のテストを終えるとするかと淹れ方に工夫を凝らす為に思考を切り替える。
(自分なりの自分の淹れ方か・・・)

フロアにはマスターが一人煙草をふかしながらカウンターに寄り掛かっているだけであった。
(どうかしたのだろうか・・・)等と考えながらもマスターに話を聞くためにマスターの前に座ろうとカウンターの席に座ろうとした瞬間に甘い香りがした。
この香りは俺が間違えるはずがない。
彼女・・・恵は何かいつも甘い香りがしていた。
香水か何かなのかはわからないけれども、その香りにいつも癒されていた。
もちろん今回もその香りもしたのだがそれ以外にも香りはしていた。
俺はカウンターを覗き込む形を取り・・・
そしてその時俺はこの甘い香りをどうかしないといけないと俺は
「恵、食うのはいいけど客用だから程々にしとけよ?」
「ふぇっ!?」
正直そう思った。

至極の一杯を淹れる為に俺は集中していた。
ブレンドする量を間違えぬように。
湯の温度を間違えぬように。
注ぐタイミングを間違えぬように。
そして何より、心を込めて・・・俺のやり方で。
しかし、今日はクリスマス。
なら、クリスマスらしいものを淹れてみようとアレンジに力を入れてみる。
そして、マスターに一杯を差し出す。

「・・・甘ぇ・・・」
マスターの感想はこの一言だった。
「はぁ・・・そりゃ甘いでしょう。」
俺は適当に返し、そそくさとフロア用のエプロンをつける。
「何も評価してないがお前はそっちのエプロンつけるんだな。」
「さっき甘いって言ったじゃないですか。点数きかなくたってわかります。」
俺はオーダー表を見ながらこれまた適当に返す。
オーダー表は真白で客もいない。
しばらくは暇な時間が続きそうだ。
「まったく・・・っでお前は今日何を淹れたんだ?すでに今回のは砂糖をぶちまけた味なんだが?」
基本この店はお茶と珈琲を出している。
つまりは飲み物全般を扱っているため、テストの際は自分の自信のあるものを淹れる。
だから俺は今回、確かに飲み物を出したのだ。
ただそれは珈琲でも紅茶でも緑茶でも烏龍茶でもなく
「ココアですよ。クリスマスらしくありません?ホットココア。ちなみにもう一杯ホットチョコもありますが」
と少々意地悪く言ってみる。
しかし、そんな事も気にせずマスターは少し悪態を吐く。
「まったく・・・店にないメニューを出すなよ・・・」
そんなマスターを横目で見つつ恵の姿をみるといつもとエプロンが違う。
(あれは・・・フロア用?)
俺は疑問を持ちながらも恵に話かけようと口を開いた瞬間にエプロンの疑問が解決された。
「ったく・・・だからか・・・柳川もム○ム○に牛乳ぶっかけたやつを飲み物として出しやがったし・・・」
俺は口を閉じその代りに少し冷やかな視線を恵に向けてやる。
「あはは〜・・・」
恵の乾いた笑いが店に響きそのまま静まり返る。
・・・・・・
・・・
どれだけ時間がたっただろうか。
何十分もたったかも知れないしほんの数十秒だったかもしれない。
そんな不思議な時間の感覚の中恵が再び口を開いた
。 「ム○ム○牛乳だって立派な飲み物・・・スープの一種だって思うんだよ?私。」
そんな持論を披露した恵にマスターと俺は再び冷やかな視線を送る。
「うっ・・・だってクリスマスだし・・・少しは甘いモノがいいかなって思ったんです・・・でも料理できないし、ならせめて飲み物で甘くならないかと精いっぱい考えたのがアレなんです・・・はい・・・」
ものすごくしょんぼりしている恵に対して冷ややかな視線は外さない。
そのかわり一言だけ言葉を発して置く。
「だからと言って、ソレはないだろう。既に飲み物とかいう話ではない。クリスマス用であるなら俺が散々菓子を作ってたわけだし。」
「お前は何も言う権利はないがな。わざわざテストにココアで吹っかけてくるわけだし。」
マスターが何か言ったようなので
「アレだけの菓子の材料分作っても余るだけでしたので嫌がらせで出しただけです。」
と正直な気持ちを話しておいた。
大体100人分の菓子を一人で造らせるのがおかしいのだ。
菓子作りだって業者から仕入れればいいのに作った方が安いという理由で手当も付けずに俺に造らせているのでこれぐらいやらなければ割に合わないのだ。
「・・・ったく、でちゃんと書いてあった量は作ったんだな?」
というマスターの当然の問に俺はちゃんと答えてやる。
「ちゃんと造りあげましたよ。あの量は一人でつくるには規模としておかしかったですけど。」
とちゃんと皮肉を交えて。

「・・・雅君、何か今日甘い匂いがする。」
と妙に俺の身体に匂いを嗅ぎながら言う。
「そりゃ、5時間も菓子作ってたら匂いも移るだろうよ。」
なんて当然の会話をしながらも俺はカウンター席に座りながらボーっとしている。
とにかく、やることがないのだ。
今の時間は午前10時。
会社勤めの人間はその日の仕事の調子が出てきたところだろし、学生は冬休みで町に繰り出したか、籠ってるだろうし、老人たちは朝早い段階で掃けて次来るのはティータイムだろうからある意味一番暇な時間。
だからこうまったりできているのだろう。
(はぁ・・・暇だ・・・)
なんて思っている中いきなり背中が重くなると同時に俺を甘い香りと程よい暖かさが包む。
「雅君の身体、本当にいい匂い・・・」
そう恵が言うとそのまま腕を俺の前に回し完全に抱きついている形となっていた。
もちろん、健全な男子であり更に思い人でもある人にこんな事されたら興奮の一つでもするのだが、恵の次の行動にそんな気すらもえぐり取ってくれる事となった。
(妙に頭に何か散っている感じと甘い匂いがする・・・というかこれは・・・)
俺はとりあえずこの態勢のまま恵に言う事とする
。 「人の頭の上で菓子を食わないでくれ・・・というかそこまで食ってると太るぞ?」
俺がそう言った瞬間に
ゴンッ
見事に脳天に恵の肘鉄が決まっていた。

そんな事もありながらもひたすら客待ちをする。
談笑するのもいいが、流石にこんな状態がいつまでも続いてもいけないわけだが、ちょっとした疑問が湧いたのでマスターに尋ねることとした。
「マスター・・・なんでクリスマス仕様なんかにしたんですか?こういうイベント系なんてこの店ではやったことなかったのに。」
この店で働いて10か月ぐらいになるが、その間別に何もイベントなどやらなかった。
特に目ぼしい喫茶店でやれるようなイベントもなかったのもあるが、落ち着いた店の雰囲気とマスターの性格からこんな事やるとはおもってはいなかった。
「・・・2号店に売り上げが負けててな・・・挽回のチャンスだと思っているんだ。」
「ここ、2号店とかあるんですか?」
初耳の話に俺は疑問をさらに投げかけるとマスターの変わりに恵が答える。
「駅前の喫茶店・・・店名は一緒だけどお店の雰囲気は全然違うんだよ?男性のマスターと小学生ぐらいの女の子がウェイトレスさんやってて、内装もかわいいって感じなの。もちろん、ウェイトレスさんは学校が終わったぐらいとかお休みの日しかいないけどね。あっちは女子中高生に人気かな?安い・美味しい・かわいいのお店だし。」
まったく正反対の店だなぁとしみじみ思っているとマスターの口調が厳しくなり口を開く。
「俺はあの店の雰囲気が気に入らないんだ。喫茶店は落ち着く場所のはずなのに内装ピンクとか落ち着かん。代替、男がピンク一色に近いところでカップ磨いていたって格好つかないだろ・・・かっこいいのに台無しだ・・・」
最後の方は何を言っているか分からないほど小さく呟いていたが、流石にピンクの部屋にうちのマスターは似合わないだろう。
(にしても、男性のマスターという事は兄妹ででもやっているのだろうか・・・)
と考えてみるが、どうもそこまで立ち入ってはいけないだろうという気持ちもある。
そんな中
カランコロン・・・
一人の客がやってきた。
その瞬間、2号店の話をしていた以上に険しい顔をマスターはその客に向けていた。
俺はその客を見て理解する。
1人の常連客だった。

「たっだいまー!!」
ドアを豪快に開け女性客が叫ぶ。
「おかえりなさい、柚子さん。」
「おかえりなさいませ、柚子お嬢様。」
「とっとと帰りやがれ柚子。」
個々の対応に満足したのか女性客は満面の笑みでカウンター・・・マスターの真正面に座る。
この女性は花山柚子。
この店の常連客でマスターの後輩らしい。
俺より少し年齢が高いらしく、立派(?)に公務員として働いている。
サラサラと綺麗なロングの黒髪とスーツがビシッと決まっているのだが、身長は然程大きくはなく、俺と半等身ぐらい低い。
自慢はできないが、俺はそれほど身長は高くなく、平均を少し下回る。
柚子さんは性格が破天荒であり、底なしに明るい性格ではあるが時には冷静に突っ込んだりする面からちゃんと顔を使い分けている女性なんだろうといつも思わさせられる。
先ほどの俺の対応は柚子さんの注文だったりする。
柚子さん曰く、「喫茶店の店員はお客様に従事するものだ。」等と言われ「だから私が来たらお嬢様と呼ぶこと。」と注文づけられた。
過去に一度だけ普通の対応をしたら一週間程俺を睨みつけながら何も頼まず開店から閉店まで居座るという行為をされて以来マスターから言う事を聞く事というお達しが来てしまったわけであった。

「まったく、ケイ先輩は相変わらず私に対して厳しいですよね。」
と柚子さんは言う。
ケイ先輩というのはマスターの事を指しているのだが、残念ながら俺はマスターの本名を知らないのでどこから取っているのか、それとも全く名前と関係ないのかもわからない。
「お前がいると碌なことないから帰れ。若しくは還すぞ。」
「先輩・・・学生時代はあんなに好き合ってた仲だったのに・・・私への愛は何処へ行ったのですか!?」
(また始まったか・・・)
俺と恵はそんな視線で柚子さんとマスターを見る。
この即興コントは毎回行われる恒例行事のようなモノ。
とりあえず始まればしばらくはこのままなので放置が一番と恵との間で話になっている。
下手に関われば確実に巻き込まれて不幸な目にあうのは百も承知だ。
「・・・ったく、俺は昔っからあいつ命だっつうの。てめぇなんか一度もそういう目で見たことねぇよ。というか俺はノーマルだって。」
「そんな・・・あの時のキスは偽りだというの!?」
「知らん!!偽りの過去なんぞでっちあげるな!!・・・柳川!!戸島!!助けろ!!」
今回はあっさりとした短い幕引きのようなのでとりあえず柚子さんを止める為にオーダーを取りに出る。
がしかし、偶々オーダー伝票をカウンターに放置していることを思い出し、持ち歩いている恵に取ってもらう事とした。
「恵、オーダーお願い。」
「雅君・・・あれを私に止めに行けというの?」
恵が指さしたその先には今にもキスをしようと迫る柚子さんをマスターが止めている真っ最中だった。
「たぶん、止めに行ったら矛先は止めに行った奴に行くだろうな。」
「それを私がやれと?」
(なんというか・・・昨日の一件以降性格変わったか?)
と思いながらもとりあえず恵を言いくるめることにした。
「恵、相手は女性だ。男である俺が行ってキスされるよりか女性である恵が行った方がダメージは少ないと思わないか?」
「雅君は・・・私が無理やり・・・そのキスとかされてるのとか・・・許せるの?」
少し、見上げるかのように目を潤ませ言う仕草に、俺は勝てるはずもなく
「・・・わかった、行ってくるよ・・・恵、伝票貸して。」
「はい、どうぞ。」
なんか、喜々として渡す恵に悪女なのでは?と思ってしまった俺がいた。
とりあえず受けてしまったからには止めなければならない。
とりあえずオーダーを取れば淹れるのはマスターなので流石にその最中は柚子さんも手を出さないのでそれが最終目的。
だが、それまでが長い道のりだろう。
俺は覚悟を決めて柚子さんの下へ向かった。

俺が向かった時には既にマスターへの攻撃は終了しており妙に瞳を輝かせている柚子さんがこちらを見ていた。
とりあえずは普通にオーダーが取れそうなので安心し、伝票をとりだし、柚子さん特別の対応をする。
「お嬢様、何かお飲み物を召し上がりませんか?」
柚子さんに対してのいつものように片膝をついての接客。
最初は戸惑いもあったが毎日来られては流石に羞恥もなくなっている。
とりあえずオーダーを取るため注文を待っていると柚子さんが口を開く。
「恵ちゃんと雅ちゃんって付き合ってたりするの!?たとえば昨日の今日で!?」
突然の質問に片膝も崩れ、むしろ驚きに立ちあがってしまった。
(しまった、オーダー途中で立ち上がったら柚子さんめんどくさいんだよな・・・ってなんでそんな事がわかるんだ!?)
等と思いつつ無意識に恵の方を見る。
そこには顔を赤らめオドオドしている恵がいた。
別に隠さなきゃいけない理由なんてないが、流石に何も言ってないのに言い当てられると慌てたくもなる。
「だって、雅ちゃんいきなり恵ちゃんの事柳川から恵って呼び捨てにしてるし、何か変わったんじゃないかな?って思って。」
柚子さんの指摘に思わず言葉が詰まった。
確かにあの告白の後、意識して柳川から恵へと言い換えていた。
少しでも近づけている気がして言い換えていたがそこで見抜かれているとは思いもしなかった。
現にマスターは一言もそこには追及する事はなかった。
(まぁ、気づいていて興味無いから追及しないだけなのかも知れないな。)
と思ってマスターをみると目をパチクリしているところから本気で気づいていなかったようだ。
とりあえず、この場を収める為に口を開こうとするとすぐ後ろから声がした。
もちろん、恵であるわけだが。
「べっ・・・別に付き合ってはいませんよ・・・だってまだ告白されてませんし、こっちからしても返事もらっていませんから・・・」
と顔を完全に朱に染めて俯きながら言う恵。
俺はすぐさまマスターや柚子さんの方をみると2人はニヤニヤと意地の悪いような笑みを浮かべながら俺を見ていた。
とりあえず、この場で俺の勝ち目はないのでおとなしく降参をし、オーダーを取る。
「とりあえず、さっさとオーダーお願いします。」
このあと、柚子さんのミドルキックが炸裂し俺は華麗に宙を舞っていた。

「まったく・・・私だって雅ちゃんや恵ちゃん狙ってたのに・・・」
柚子さんはマスターの淹れた珈琲を一口含みカップから手を離すとそう零した。
「お前は相変わらず男女見境ないな。」
「だってバイですから。」
なんかとんでもない会話があるが俺はとりあえず聞こえない振りをする。
客がいない間は柚子さんの近くを離れると既にミドルは食らっているのでハイあたりで宙に舞うだろうからひたすら立ち尽くす。
「お前・・・いい加減結婚したらどうだ?いい人みつけろよ・・・なんなら常連連中に声かけるか?」
「いやいや、そこまでしてもらっても困るって、なんら雅ちゃんが一生告白できないとか、上手くいっても途中で失敗して別れた所を傷を癒すという名目で付け入るチャンスを虎視眈々と狙う事にしますよ〜・・・あっ、もちろんケイ先輩でもいいですよ?ちゃちゃっと別れてくだされば娘さん共々私がきっちり面倒みますし。」
何かとても失礼極まりない発言をしているがここで俺が反論でもすれば踵落としで床に顔がめり込む事うけあいなので発言を控える。
「お前は黙ってりゃ器量よしだろうに下手に願望・欲望・本性を出すからいけないんだろう。」
「そうでもしなければ願望も欲望も叶いません。行動してこそ叶うのです。」
そう言いきると再びカップに口を付け一息ついている。
「まぁ・・・自分独りで騒いだって叶わない事もあるんですけどね・・・」
そう零すと一気に飲み干し、カップを置くと共にお代を置く柚子さん。
「御馳走様。雅ちゃん・・・恵ちゃんを大切にするんだよ・・・」
「かしこまいりました、お嬢様。」
そういうと、苦笑いを浮かべながら柚子さんは
「もう、それやらなくていいから。いままでありがとうね。じゃ、いってきます。」
そう言葉を残して店を後にした。

「台風のような奴だな。」
静かになった店の中でマスターは独り呟いた。
「そうですね。私もあれくらいになった方がいいのかな〜・・・雅君はどう思う?」
そんな問いに俺は
「今のままでいいと思う。恵は恵らしくあってくれるのが一番だ。」
と我ながらくさいセリフだなと思い只管窓の外を見ていた。
「まったく・・・そろそろ昼時だ。もうひと踏ん張りいくぞ。」
マスターはそう言うと短くなった煙草の火を消し新しい煙草に火をつける。
俺はエプロンを今一度しっかりと結びフロアに立つ。
(今日は忙しくなりそうだ。)

午後10時
喫茶『sunny spot』の閉店時間でもあるこの時間に1組の男性と少女の客が来た。
「もう、閉店かい?」
その客である長身の男性が訪ねる。
もう一人の小さな少女は男性の手を繋ぎながら店を見渡している。
「すいません。やってはいますが生憎とクリスマス用の菓子は全部終わってしまっていて通常のモノしかだせませんが・・・」
「大丈夫。構わんよ・・・なら席に案内してくれるかね。」
「当店はお客様にゆったりしてもらうのがモットーですので御自由にお座りください。オーダーは後ほど伺います。」
いつものマニュアル通りのセリフを並べて接客用の営業スマイルを浮かべる。
(まったく・・・早く帰りたいのに・・・)
なんて思っている最中マスターが叫ぶ。
「雅、冷蔵庫に入っている箱持って来い。そうしたらお前たち帰っていいから。後・・・まだ一個菓子が残ってるはずだろ?」
その一言もあり俺はそそくさと冷蔵庫へ向かう。
(・・・一体なんなんだ?)

俺は注文通り箱と余っていた菓子を持ってくるとマスターは帰ってよしと言うので恵と共に裏へと戻る。
その時チラッと見えたのだが、少女の元にあったカップの中にはココアが並々と注がれていた。
「メリークリスマス。」
「メリークリスマス。」
「メリークリスマス、お父さん、お母さん。」

俺と恵は店から出て二人家路についていた。
雪降る中歩く俺たちはごく普通、当り前かのように手を繋ぎ目的地に向けて歩いていた。
そんな中、特に何もないままいつもの分かれ道に辿り着く。
だが、今日俺は恵に言う事があった。
別に今日でなくても良かったのだが、今日の柚子さんの一件でどうしても今日言わなくてはならない気がした。
しかし、まだ決心がつかない。
だから俺は
「雅君、じゃまた明日ね。」
「・・・今日は家まで送るよ。昨日のトラックみたいに危ないだろうし。」
恵の家まで付いていく基送っていくことにした。

昨日のT字を曲がると道は単調なものでひたすら道なりに進むだけであった。
しかし、この先にある建物に俺に疑問が浮かぶ。
(たしか、この先は独身・単身専用の市営アパートだよな・・・)
その考えの中恵がいきなり口を開いた。
「今日の最後のお客さん覚えてる?」
「ああ、もちろん。いくら記憶力悪くたって数分前に会った人物の顔を忘れるはずがない。」
なんていいながらもなぜ恵があの客の事を言ったのかが解らない。
しかし、そのことなどお構いなしに恵は話を続ける。
「あの人達ね・・・マスターの旦那さんと娘さん・・・2号店のマスターとウェイトレスさんなの。普段は2号店の方で暮らしてるからあまりお互いに顔を見せないんだけど2号店の方に帰る長期休みの時にだけあえるんだって。だけど夜遅いから娘さん・・・とうみちゃんにはほとんど顔みせてないみたいだけど。だけどマスターの1号店が3人ちゃんと生活できるような売上が出れば皆で暮らせるって私に愚痴ってた。」
俺はその新事実に対して驚きが隠せなかった。
「それだけならいいんだけどね・・・ちょっと話が飛ぶけど、この先にある建物は知ってる?」
「市営の単・独身専用アパート。」
俺は先の驚きを抑えられないまま言う。
「そう・・・私ね、そこに住んでるの・・・あっ、なんか変な勘違いおこされちゃ困るから言うけど両親は健在だからね?・・・多分・・・私、両親と喧嘩して家出してきたの。もともと親とは仲良くなかったし、あっちも勘当だって言ってたからお互い変に後腐れなく別れたんだけど流石に高校生の私が一人暮らしていく事ができる方法なんて限られてるし、途方に暮れてた時にマスターと出会ったの。その時にマスターが学校への授業料と食住にだけは工面してやるから代わりにここでバイトしろって話だったの。」
あのマスターがそんな事を・・・なんて思っている中話は終わってないらしく恵は話を続ける。
「マスター、料理作れないのに一生懸命お弁当作ってくれて、ちゃんと自分の空間が欲しいだろうって市営のアパートを工面してくれてた。長期休暇以外帰らないのは私のお弁当とかに時間を費やしているんだって。作ったら私の所まで届けてくれるし・・・それに自分の思った通りのモノができるまで造るから殆ど徹夜になるんだって。」
マスターの料理の制御不能さは前回の料理大会で知っている。
マスターがいつもダルそうに接客しながら時々眠りこけているのも知っている。
「だから、せめて少しでもマスターに楽してもらおうと私、淹れるのを頑張ってたんだけど、やっぱりまだマスターの味が出せなくてあんまり淹れさせてもらっていないんだよね・・・」
恵が淹れるのは恵に淹れてほしいという注文があった時だけというのがあの店のルール。
だからメニューには柳川ブレンドというメニューがあったりする。
「本当は、料理もできればいいんだけどね・・・マスターとか雅君みたいに上手くいかないんだ・・・毎日やってるけど全然できない・・・マスターね、今日の為にケーキ作ってたんだ。今日、会いに行くつもりでいてこっそりとケーキ作ってた。ばれちゃいけないからって私の部屋まで来て作ってばれない様に店の冷蔵庫に入れてた。」
それで少し疑問が解決する。
何故か店用の菓子の材料が全て出されていたのかという事が。
一から探せばケーキの箱に気付くだろう。
そうすれば中を見られるかもしれない。
あのマスターの事だから自分の努力なんて他人に見られたくないだろうから・・・
「私、今ちゃんとお金貯めて高校卒業したら働こうと思ってるんだ。そして、マスターに恩返しする。」
その言葉を発した時の恵は決して曲げないという強い意志が見えた。
そんな中、俺達は市営アパートまでたどりつく。
「・・・んじゃ、ここまででいいから。ここまで付き合ってくれてありがとうね。」
そう言って恵は手を放しアパートの方へ走っていこうとするところを俺は呼び止めていた。
「恵!!」
「ん?何か用?」
恵はすぐ足を止めてこっちを向いた。
「俺・・・恵のこと何も知らなかった。マスターの事も何も知らなかった。唯、俺はあそこでバイトをしてるだけだった。それで俺は・・・」
「もしかして、さっきの話を聞いて私の事嫌いになった?両親から勘当されて、我儘でマスターまで巻き込んで・・・それとも同情の気持ちが大きくなっちゃったのかな?・・・だったら私はあなたとは付き合えないな・・・あの時の気持ちは変わらないけど・・・付き合えない。」
恵はいつもの笑みを携えていてくれたけど、その笑みはどこか陰を差していた。
「俺は、そんな事で気持ちは変わったりしない。恵が恵のままでいてくれたらそれでいい。俺は過去を隠して振舞っていた恵を好きになった訳でも辛い過去を背負ったヒロインでも演じている恵を好きになった訳じゃない。俺は柳川恵を好きになったんだ。どんな道を歩んできたのだとしても俺は今の柳川恵自身が好きになったんだ。」
我ながらくさいセリフだと後に振り返ってみると思うのだが、この時の俺はそんな事はなりふり構っていられなかった。
「恵が辛いならいくらでも俺が変わりに背負ってやる。恵がやりたいということならどんなことでも一緒にできる道を見つけてやる。・・・だから・・・俺と付き合ってくれないか?・・・俺は恵を愛している。」
そこまで言い、恵の反応を待つ。
その間恵は頬を朱に染め・・・静かに泣いていた。
俺にはまだ彼女の涙を拭いてやる権利はないと唯返事を待った。
雪降る寒空の下、ただ彼女の静かな嗚咽だけで響いていた。

しばらくすると彼女の静かな嗚咽は止まり、その変わり口は言葉を紡いだ。
「私も、雅君の事が好きです。・・・よろしくお願いします。」
まだ、泣き声ではあったがその言葉を聞き、俺は恵を抱きしめた。
「大丈夫・・・俺はいつでも恵を守るから・・・泣きたいときはちゃんと泣いてくれ・・・」
俺の腕の中、再び恵は泣いていた。
今度はちゃんと声をあげて・・・
そして、その中彼女の甘い香りが俺を包んでいた。

しばらくして彼女の嗚咽も完全に収まり、静かに離れていく。
彼女は今だ目が赤いがそれはしかたがないだろう。
そして、今日のもう一つの目的を果たすために俺はポケットを探り小包を恵に差し出す。
「メリークリスマス。これは俺からのプレゼントだ。使い方は中に紙を入れてあるから。」
そういって俺は去ろうとし振り返り様にこう言った。
「また明日な。」
そう、短いけどちゃんと次を約束した言葉を残して。
俺が歩き出した頃、いきなり背中に衝撃が走った。
何だろうと思い後ろを見ると恵が背中に抱きついていた。
「・・・ずるい・・・私は今日なにも用意できてないのに・・・」
すこしムスっとした声で言う恵に俺はとりあえずこのままの状態で言葉を紡いだ。
「・・・だったら明日、ちょっと付き合ってくれ、バイトの前にちょっと寄りたい所があるから。」
そう言うと恵の腕がちょっときつく締めあげるように力を入れて一言こう言った。
「ちょっとじゃなくて、これからずっとでしょ?」
彼女の表情はわからないが多分昨日の告白の時のような笑みを浮かべているのだろうと思いながら少し苦笑いをしその言葉にこう返した。
「そうだな・・・ずっと一緒にな・・・」
相変わらずあの甘い香りが俺を包んでいた。
だけどその香りはいつもの香りよりまた少し甘さが増していたような気がした。
唯二人、雪舞う・・・ホワイトクリスマスの中、抱きしめられるという形だったがしばらくそのままでいた。
どうか、この瞬間が永遠に続きますように・・・
そう願いながら・・・

12月26日午前5時。
開店は6時なのでこの位に家を出なければ寄り道は出来ないので急いで身支度をして家をでる。
待ち合わせ場所でもあるあのY字の交差点に。

俺は近道を使用して待ち合わせの場所にたどり着く。
その時にすでに恵は待ち合わせ場所に立っていた。
俺と恵のそれぞれのポケットからは一房のチェーンが伸びていた。
俺と恵はあの不思議な店、魔法器具店『窓先の陽だまり』の前に立っていた。
俺は無事渡せた事を報告しようと来たのだが、店の看板は『Close』だった。
別にまたいつかでいいだろうと恵と共に『sunny spot』に向かおうとした時に突然店の扉が開いた。
そこには小学生のような少女がいて、看板を『OPEN』にして再び店の中へと入っていった。
俺と恵は一度お互いの顔を見て如何するべきかというのを確認しあうとそのまま店へとはいっていった。

「いらっしゃいませー」
元気な声が小さな店内に大きく響く。
そこは前に来たときとなんら変わらない空間であるが故にその少女の声が異質にも思えた。
俺は礼に来ただけなので迷わずレジへと向かい少女に主人を訪ねてきたと正直にはなす。
「あ〜・・・この店の主人は私ですよ?まぁ、時々亮介が店番してくれますけど今日は奥の部屋でぐーすか寝てます。」
それを聞き、俺はまた来ると言い残し店を出ようとするとその少女に呼び止められる。
「あの・・・何を買ったんです?ちゃんとソレの説明を受けました?」
俺はあの時紙に書いてもらっただけだと告げ、その時に買ったモノ・・・懐中時計と紙をその少女・・・店主に見せた。
「あ〜・・・もしかしてお隣の彼女がもう一つ持ってます?」
もちろんという恵は店主に懐中時計を見せる。
店主は文字盤と蓋を見て少し溜息を吐き、言葉を紡ぎ始めた。
「これは要は恋愛成就のお守りなの。時計に自分の約束事を刻んで、それを守っている間は二人は結ばれたままなんです。破ると罰として二人は永遠に交わる事はありません。破ったり守ったりした頻度は時計の針が示してくれるってモノなの。」
確かに俺達の時計の針はまったく時を刻んでいない。
欠陥品で安かったのだろうと唯のアクセサリーのつもりで恵に渡していた。
「それで、約束事は蓋の裏に刻んで置く事。約束事の数が多ければ多いほど破ったときの進みは少ないけどやっぱり全部守るのは大変でしょ?少なければもちろん逆に進みは大きい。時計が24時間を刻むと途端に記憶からお互いの事がすっぽり抜けちゃうの。」
俺はその初耳の情報にただ生唾を飲むだけだった。
「それで、蓋に刻むには時間制限があって、複数個の時計を全て一つずつ誰かが手に取ったときから1時間以内・・・つまりペアなら片方を誰かに渡した時から1時間。だけどあなた達は・・・」
俺達は時計に何も刻んでいなかった。
お互いどんな気持ちで刻まなかったかはわからないが互いの時計は傷一つ付いていなかった。
「1時間たって刻んでないと自動的に約束が決まるの。それは一番針が進む約束・・・それはお互いの事を片時も忘れない事。・・・だけどあなた達は大丈夫そうね。何時間たったかはしらないけど・・・一切針は動いてない。」
しかし、俺たちには不安が残る。
この先、もしかしたら少しお互いの事を忘れる状況があるかも知れないのにと。
「大丈夫。これは私が作ったお守り程度のモノ。24時間回ったって精々喧嘩して険悪になるくらい・・・まぁ別れちゃうかもしれないけど決して交わらないとか忘れちゃうっていうこともないから・・・だけど持ち続けている間は絶対に二人は離れないよ?ちなみに進んだ針は約束を守り続けている間0時までは戻るからね。」
そういい、一通り説明を終えたのか店主はいきなりどこから出したのか手元から出現した湯呑でお茶を啜っていた。
「もちろんちゃんとした魔法器具だから私が死ぬまでは有効だからね。だからと言って私を殺しにこないでよ?」
と冗談めかした事をいうとまるで完全に用は済んだだろうという感じの視線を向けて
「じゃ、亮介にはちゃんと伝えておくからこんなところでいちゃつかれても胸糞悪いんで帰ってね。」
その一言があった瞬間に俺の目の前が歪みいつのまにか店の外にいた。

俺達は時間を確かめ、かなり時間が立っている事を知ると走って『sunny spot』に向かい、辿り着くとスグに着替えを済ましマスターの元へ行く。
もちろん、テストを受ける為に。

「甘すぎるわ!!」
俺と恵の二人の淹れた一杯を一口ずつ飲んだ直後の第一声だった。
もちろん淹れたのはお互いストレートとブラック。
「・・・お前ら、多分昨日上手くいったんだろうけどな・・・流石に仕事場までそれを引きずるのは辞めてくれ・・・なんで砂糖も入れてないのに甘い味がするんだよ!!致死量レベルに甘いわ!!」
もちろん砂糖もミルクも甘みになるようなモノは一切入れてないのでマスターの感じた雰囲気みたいなものなのだろうけど感情がやはり淹れるモノの味にちゃんと作用しているのだろう。
「ったく・・・しばらくは俺が淹れ続けなければならんのか・・・」
そう悪態を吐くマスターに俺は一つ、言っておかなければならない事があった。
「そうそう、マスター今度から恵の弁当は俺が作りますんで。」

「柳川・・・どこまで喋った。」
ある程度朝の客がはけた後マスターは恵に尋ねていた。
「えっと・・・ほとんど全部です。」
「はぁ・・・やっぱりか・・・まぁ全部じゃないところだけは褒めてやるよ。」
「あはは・・・ありがとうございます。」
そんなやり取りの輪に入れない事に不満を持ちながら俺は客を待っていた。
尚もマスターと恵の内緒の話が続くので不満を更に募らせながらも時計をみるとあの時間がもうすぐやってくることに気がついた。

マスターは怪訝そうな表情をしていた。
彼女は必ず決まった時間にやってくる。
もちろん今日も例外なく・・・
「たっだいまー!!」
ドアを豪快に開け女性客が叫ぶ。
「おかえりなさい、柚子さん。」
「おかえりなさいませ、柚子さん。」
「とっとと帰りやがれ柚子。」
いつもの挨拶で彼女は飛び込んできた。

いつもの席に陣取った柚子さんにオーダーを取りに行く俺。
「ありゃ・・・私、昨日別にもういいって言ったけどそんなにそれ気に入った?」
とちょっと意地悪な笑みを浮かべ俺に言う。
俺はそこでやっと気付く。
いつものように片膝を付いていた事を。
慌てて立ち上がり他の客の時のようにオーダーを取り、マスターに伝えると他の席の客の品を運ぶ。

「ケイ先輩・・・あの二人上手くいったんですね・・・」
「お前は役所はいいのか?毎日この時間に来てるが仕事は始ってるだろうが。」
「今はそんな事どうでもいいんです。仕事は定時までに仕上がればいいんですから私ぐらいであれば午後からでも十分消化できます。・・・それにしても本当に上手くいったんですね。」
「どこを見ればそうわかるんだ?俺にはさっぱりわからん。」
「ケイ先輩はあの二人の淹れたのを飲めばわかるでしょ?普通の人・・・というかあなたぐらいしかその人の感情を飲み解くなんてできないんですから。」
「飲み解くことはできてもお前みたいに仕草やらから判別はできんよ。お前はどうして今日あいつらがうまくいったってわかるんだ?」
「あの二人のポケットから出てるチェーンですよ。お揃いだし、一昨日までは二人ともしてませんでしたし、昨日は雅ちゃんだけ。そして今日はお揃いです。ちらっと見えたのですが、二人ともチェーンの先は懐中時計ですね。二人の時間を永遠にっという感じですかね。」
「お前・・・すごいな。」
「いえいえ、ケイ先輩、否恵子ちゃん程じゃないよ?」
「なんで本名に言い直したんだ?気持ち悪い。」
「だって、これじゃ私だけひとり者じゃない?なら一番別れる可能性の高い恵子ちゃんの事をそう呼びなれる為の練習ですよ。」
「馬鹿野郎。俺達はいつまでもラブラブだっつうの。」
「うむ・・・なら誰か紹介してくださいよ〜男の子でも女の子でもいいですから〜・・・」
「だったら燈也はどうだ。」
「燈也さん?どんな人ですか?」
「85歳独身の趣味ゲートボール、総資産おおよそ500万だ。」
「そんな墓場まじかの人は嫌です!!というか総資産みても玉の輿すらないんですか!!」
「まぁまぁ・・・とりあえずいろいろ当たってやるよ。最悪俺の所へ来い。あいつとは別れないがお前ぐらいを受け入れる許容はあるさ。・・・一人分空きそうだしな。」
「・・・グス・・・」
「ちょっ・・・お前どうした!!」
「いえ・・・ちょっと嬉しすぎただけです・・・」
「・・・ったく、お前は独りで頑張りすぎなんだよ・・・おい、雅!!暫く店たのんだ!!・・・歩けるか?・・・少し裏で休んでいけ。俺も付いているから。」
「グス・・・恵子ぉ〜・・・」

マスター達が奥の部屋へ消えて数時間。
丁度昼前のラッシュ前にマスター達は再びフロアに舞い戻っていた。
柚子さんはすっかり冷めきった一杯を一気に飲み干すとお代を置き颯爽と店の入り口に立ち一言。
「いってきます!!」
「いってらっしゃい。柚子さん。」
「いってらっしゃいませ柚子さん。」
「さっさと行って来い。完全に遅刻だろうが。」
いつもの風景が再び動き始めた。
俺は今となりにいる彼女がとても愛おしい。
たとえ懐中時計のお守りなんかなくたっていつも彼女を思い続け、彼女から離れたりしない。
この彼女の甘い香りを守るためならどんな事でもしよう。
俺はいつまでもこの香りに包まれていたいから。
しかし・・・
「前にも言ったが、流石に客に出す菓子食いすぎだから。本当に太るぞ?」
彼女の余計な香りだけは辞めさせないといけないと思う。
何度肘鉄を食らおうとも・・・


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