No41 ロングヘア

長い髪が揺れる。
彼女が走ってきた道は決して綺麗に舗装された道ではなかったけどそれが正しい道であったと思う。
私ができる事は唯…走ってきた彼女を抱きとめその髪を撫でてあげるだけだ。

「ただいま…」
私は久々に帰ってきていた実家のリビングでくつろいでいるとそんな言葉と共に一人の少女が帰ってきた。
「おかえり、柑菜」
私は微笑むようにして迎え入れる。
だけど柑菜の方は私がなぜここにいるかどうか理解できないようで完全に固まっている。
私は手招きして私の方へ来るように指示するとちゃんと来たので私は胡坐をかきそこに座らせた。
「どうしたの?なんとなく元気なさそうだけど」
その私の問いに柑菜は答えず逆に私に問いかけてきた。
「和弥姉の方こそなんで家にいるのよ。店の方にいなくて良いの?この時期が稼ぎ時でしょ?」
「今は仲間に任せてるから良いの。明日からは死にたくなるほどの量を作る事になりそうだけどね…クリスマスが終わるまでは我慢だよ」
私は柑菜の艶やかな長い黒髪を手で梳きながら言う。
少しだけ抵抗はするもののそれは最初の内だけで為すがままとなっていた。
「それで、最近こっちに顔だせてなかったけど…何かあったんでしょ?成績でも落ちたとか?柑菜ならちょっとぐらい落ちても結構いい大学にいけるんじゃない?」
私はからかい半分で言って見せるといつもなら可愛らしく頬を膨らませて怒ってくるのだがそんな風になる様子が全く見られない。
正直の所、柑菜が暗い理由はあらかた知っている。
それでも一応本人の口から聞きたいというのが私の本心。
「そんなんじゃない…大体下手な噂が流れて今年は私大学行ける気配ないし…」
柑菜は夏休み中に一つ事件を起こして建前だけの謹慎処分をくらっている。
建前だけというのはそこまでする必要がなかったのだが学校側が邪魔だと判断した結果夏休み中を自宅謹慎という形を取らせていた。
その後も少しの間謹慎期間を過ごし今ではテストの成績が良くても評定は良くなる様子もない。
それでも柑菜は自分の責任なのだから当たり前の事と自分で突破口を見つけ出している事を私は知っている。
それぐらい努力の惜しまない子だった。
「まぁ、大学ぐらい後でも行けるんだしなんなら私の店で雇ってあげよっか?」
私は鞄を漁りバイト募集のチラシを引っ張り出そうとしている中間髪入れぬような速さで返事が来た。
「バイトでも社員でも遠慮します。和弥姉の所で働いたらピンハネされた挙句死ぬまでこき使われそうだし」
「なんだと〜?」
生意気言う柑菜に少しお仕置きをしていると彼女から本心が少し零れはじめた。
「…部活の事なんだよ…」
私の思っていた事が当っているようなので私は手を止め聞き入る事にした。
「晴陽祭が終わって私達は引退してもう部活には口は出せない。私が作った部活だけど作った理由が…アレでしょ?」
「学校の状態の問題よね…今の状態で秩序として成り立っていたから正式に生徒会とかで変えようとせずに単騎で壊そうとして柑菜は学校に目を付けられたと…」
正直柑菜の通う学校は褒められた状態ではない。
それを変えようと動いたのが柑菜である。
「だからもっと私のように動いてくれる人がいるか、陸女にもっと人が入ってくれるかしないといけない…もうすこし私はいい方向へ導けなかったかとか色々考えちゃって…悔しい…こんな風に考えちゃうという事は絶対に私はやり残した事があるはずなのに…」
私は再び柑菜の髪をなで始める。
「まぁ、柑菜がいなきゃ何も始まらなかったんだし…十分なんじゃない?何人かは先輩もついてきてくれたんでしょ?」
指に絡む髪は何処までも引っかかる事なく髪先まで抜ける。
でも柑菜の心はそんな風にスルリといく事はなかった。
「もっとだよ…私には変えていける力があるはずなんだ…地べたに這い蹲ったってもあの学校を変えていかなきゃ…」
「そんなに自信があるならあの土地返してもらって良い?あそこは一応2号店を建てる予定の土地なんだけど」
私は2号店計画の資料を鞄から取り出して机に広げる。
そうすると血相を変えて柑菜はくらいつく。
「それは駄目!!あそこは部活が潰れるか目標が達成されるまで貸してくれるって約束じゃない」
「それはそうだけど貸し賃より店建てた方が絶対に儲かるからねぇ…ライバル店の様子考えると物量の勝負もかけないといけないし…正直柑菜が部活から離れるなら私には関係ないしなぁ〜」
そう呟くと柑菜は言い返せないらしく涙目で黙り込む。
いつもならここで私がフォローなり入れて仲直りするけど今日は丁度助っ人を呼んでいる。
タイミングを見計らったかのように鳴るチャイムに私は入るようにと誘う。
この為ではなかったけど丁度良さそうだ。

「お邪魔します…ん?」
特に体勢を変える事なく客人を迎え入れたのは少々礼儀として悪いとは思うけど私は柑菜と客人のこの呆気にとられたような顔が見たくてあえて今日のこの日まで隠しておいたのだ。
(まぁ、何時ばらしても良かったんだけどね…というか普通わかると思うし)
「なっ…なんで部長が和弥さんの家に…というかそんなに仲良さそうにくっついてるんですか…」
客人である話によると現女子陸上部部長の木下朝菜が驚きの中に器用にため息を混ぜて言う。
「そっ…それはここが私の家であるからであろう。休日に自分の家にいる事は不自然ではあるまい」
一方柑菜の方は外面の体裁を保とうとしているようだけど私から離れずにいる時点で多分無駄な努力になってると私は思う。
「まぁまぁ、お互い自己紹介って事で。こっちは柑菜。私の妹で…三尾部長って呼んでたならそっちの方がわかりやすいかな?」
「はぁ…確かに同じ苗字だなとは思ってましたけど…まさか姉妹だとは」
まだあまり現状を飲み込めていないようだけどさくさく進めていく。
「それで今日のお客さんである木下朝菜さん。ファミリーレストラン『トワイライト』の店長の娘さんであの店の経理関係を担当していて私の店の商品を喫茶店時代から扱ってくれているお得意様…粗相のないように」
私は柑菜に言いつけて柑菜を下ろすとキッチンの方へ向かおうとする。
「それで、今日はどのようなご用件で…」
今までの立場と逆転してしまった柑菜はものすごくぎこちないしゃべり方をしている。
「いままで通りでいいですよ。そもそも部長相手に偉ぶるつもりもありませんし中身知ってるんですからそんな事で取引には影響しません…和弥さんの腕が落ちてなければの話ですけど」
この事を隠す事になってしまっていたのを根に持っているのか少し睨むように私を見ているようだけど私は受け流す。
「私を舐めないでよ?今年こそは恵子先輩に負けないぐらい…否、勝っている物を作ってみせるんだから」

プレゼン用に作成したケーキに最後のデコレーションをする。
店の方の物は既に通っているが『トワイライト』用の物はまた別の物を作らないといけない。
『トワイライト』ではまた客層も変わるのと運搬時の事も考えないといけない。
私が評価されているのは味よりも見た目の方が比重が大きいからここは大きな痛手。
それでも『トワイライト』への出荷は無くす事はできない。
審査をすべて任されている朝菜さんの目にちゃんと留まるように作る。
この地方にはライバルが2人もいるのだから。
「さて…できた。後は味だよね?一応候補は5つ…枠は3つだっけ?」
「ええ。一応今年はすべて和弥さんの『天使の梯子』さんの方のつもりでいますから今日のこれがプレゼンは食べ収めです…毎年正月前に太るのもどうにかしたいんですけどね…走る量増やすかな…」
テーブルを囲みながら少し落ち込む朝菜さん。
「朝菜は大変なんだな…しかし姉の作ったものは私が言うのもなんだが格別だ。最後なら楽しんで食べてくれ」
「そんな事言っても柑菜に多く分けるなんてしないからね」
私はケーキをテーブルに並べ切り分け5品を朝菜さんの前に並べる。
朝菜さんは一つ手を合わせると黙々と品定めを始めていった。

「さて、今回もよろしくお願いするということで」
メモ帳に何度かペンを走らせていた朝菜さんの手が止まるとその一言。
「今回はこれとこれにしまして3枠目は今回は残念ですが他店の物とさせて頂きます」
正直1枠逃してしまったのは痛いがそれでも2枠も取れたのは幸いだ。
私は審査を終えたので残りを今度は3人分へと切り分けていく。
真っ先に飛びつくのは柑菜。
鼻歌交じりにフォークを口に運んでいるのは微笑ましい光景だ。
「それにしても和…姉さんのライバルなんてこの辺にいるのか?」
素が出そうになって慌てて言い直すが朝菜さんの方は見抜いていたようで苦笑いで答える。
「部長…辛いなら素で喋っていただいて結構ですよ…和弥さんから妹さんとしての話は結構聞いてますので」
その言葉に顔を真っ赤にしてこっちを睨んでくるが頭を撫でてやって落ち着かせる。
柑菜は撫でられたり髪を梳かれたりするのに弱いようでいつも大体これで収まる。
「まったく…見せ付けてくれますね。えっと、ライバルでしたっけ。一応この地方では名のあるパティシエールが和弥さんを含めて3人いるんですよ」
「へぇ…知らなかった」
「そりゃ、身内にその内の1人がいていつも食べれるなら知らなくていいですしね。説明しますと喫茶店『クラウド』の稲河恵子さん。名のあるコンクールで何度か賞を貰っている実力者。次は最近知って今年から声をかけ始めたのですけど『Madder Sky』の仲付明希さん。チーズケーキでは国内5本の指に入るほどの実力者なんですけどそもそも店舗の存在を私が知らなかったのでなんとも言えません。そして『天使の梯子』の三尾和弥さん。デコレーションの奇術師の2つ名は伊達じゃありませんね」
私は一つ胸を張ってから訂正をかけていく。
「まぁ、一応コンクールにデコレーション部門で何度か優勝しただけだけどね。私の師匠は『クラウド』の恵子さん…味では多分一生勝てないんじゃないかなって思ってる…正直あの人の下に就いたから味の追求の道から少しズレたんだと思う…正直超えれない壁を見ちゃったからね…」
「まぁ、単価の問題だとかで『クラウド』も『Madder Sky』もお断りに近かったんですけどね。そこがクリアされると正直『天使の梯子』の方も危ないですよ?はっきり言いますと味は『クラウド』の方が断然上です。クリスマス戦線は店同士だと『クラウド』の方が勝つと私は思いますね」
正直厳しい現実を叩きつけてくれる朝菜さんに私は苦笑いを隠せない。
「そんなにすごい店がこんな地域にあるのか…それでも和弥姉は負けないよね」
「さっき負けてるって言われてるし負けたって言ったじゃない…だから物量作戦のつもりでいたのよ。私の店は店員全員がかなりのレベルまでできるし2号店の方も軌道に乗せれるはずなんだけどな〜」
私はいやらしく見るが柑菜は話をそらし始めた。
「そういえば朝菜の方は何か進展はあったのか?せっかく綾花クンを部活に入れて部長補佐にまでしてやったんだから少しは何かあっただろう」
その言葉に今度は朝菜さんが固まる。
明らかに地雷でも踏んだようだけど柑菜は追撃をする。
「お前らの事だから結構いい所までいってるんだろ?女同士なら避妊はしなくていいわけだが節度は守ってくれよ?あの部活まで他の部活と一緒になっては意味が無いからな」
完全に肩を震わせている。
私が口を挟もうとした瞬間だった。
朝菜さんが口を開いた。
「振られました…というか正確にはアレ以上の関係にはなれなかっただけですけど…」
その言葉に失言だった事に今更気づいた柑菜の方が今度は固まる。
「私が悪かったんですけどね…まだ綾花の気持ちに気づけてないんですから…ん?これは?」
机の上に放りっ放しでケーキを広げていたお皿の下になっていた2号店案の用紙を朝菜さんは拾い上げる。
「えっと…2号店計画案…さっき言ってたのは本気なんですか。まぁ『トワイライト』の方の納品が滞る事がなければ私は賛成ですけ…ど」
資料や計画書を読む事に慣れているのであろう朝菜さんはかなりの速さで読んでいくと多分ある一文で目を留め固まる。
私はその一文を予想して口を開く。
「まぁ、あそこ私の土地だし。正直何年も貸すつもりはあんまりないわよ?」
その言葉に提案書を持っている手が震えているのがわかる。
それでも私はそんな事では考えを変える事はしない。
「えっと…3枠目も『天使の梯子』さんにしよっかなぁ〜」
「それはありがたいけどそれとこれは対価にはならないから」
私はケーキ用に淹れていた紅茶をカップに注ぎ啜る。
今は一応お互い商売上の仲。
私のポリシーとしてこんな弱みに付け込んだ方法で商品を売りたくは無い。
「部長…なんとかしてください。このままじゃ私達の居場所なくなっちゃうじゃないですかぁ…」
「えっと…卒業した身分で何ができるか…」
口ごもる柑菜に朝菜さんは頭を抱えている。
「まったく…今すぐ取り上げるとは言ってないんだからもう少し落ち着いて。私だって鬼じゃないから少しは考えてあげるわよ。今はそういうのは置いといておいしく食べてもらいたいな」
私は自分用に切り分けているケーキを口に運び味の分析に入る。
何故落ちたのかはわかるが何故これが落ちたのかを確認する為に。

「ごちそうさまでした。私は店の方もあるので退散させていただきます…部長、どうかお願いします」
その一言を残し一礼をすると朝菜さんは帰っていった。
「…あの和弥姉…」
2人っきりになった途端に声をかけてくる柑菜。
私は聞こえぬ振りをしてお皿を回収して食器洗い機に放り込む。
「私はあの陸女を無くしたくない。朝菜たちも私の意志を引き継いで変えていこうとしてくれている。逆境しかないあの部活に更に追い討ちはかけたくないんだ」
その言葉から強い意志が伝わってくる。
「柑菜は…部活作って後悔はしてない?」
私はあえて振り向く事はせずに問う。
「後悔は…今の私が部活に何もしてやれていない事だけ」
「あれがあったせいもあって柑菜の人生おかしくなってるんだよ?」
「全て私の責任なんだから部活は関係ない」
私は一つため息を吐いて一度呼吸を整える。
「なんで柑菜は何もできないって決め付けちゃうかな…あんたは十分やってきたしまだできる事はあるでしょ?」
私は振り向きざまに言ってみせると柑菜はわかっていないようで私は言ってやる。
「私の土地貸してるんだから私に利益を貢献してくれればいいのよ。柑菜は卒業後どうするんだっけ?」
「…専門行ってから様子をみて大学行く…流石に2年も置けば何とかなると思うし」
「だったらその学生の間私の所でバイトしなさい。その間は貸してあげるよ…それ以降は柑菜と部活の人間次第かな」
私のその言葉に柑菜は私の胸に飛び込んでくる。
「柑菜はこれまでやってきた事を間違ったと思ってる?」
私は柑菜の長い髪をやさしく撫でながら言う。
「わからないけど…私なりに正しい道を進んでいると思う」
その答えに私は少しだけ強く抱きしめて言ってやる。
「ならそれを誇りにしてそのまま突き進みなさい」

私は胡坐をかきそこに柑菜を座らせた。
「私が柑菜に髪伸ばしたらって言った理由って知ってる?」
柑菜の髪を今度はちゃんと櫛で梳かしながら問う。
「なんとなくじゃないの?似合うと思うって言われたから伸ばしてみたけど」
そんな答えに小さく笑い私は本心を答える。
「私は柑菜に自由でいてほしいから伸ばしたらって言ったの。長くないとできない髪形だってあるし選択肢の幅は増えるでしょ?柑菜はその辺無頓着だから私から選択肢を示してあげたの」
その言葉にあまり興味を持たなかったのかそれともよっぽど髪を梳かれるのが好きなのか特に返事をせずに光悦ともとれる表情で黙っている。
「それにね…私は柑菜の髪をこうやって梳いてあげるのが大好きだから…」

長い髪が揺れる。
彼女が走ってきた道は決して綺麗に舗装された道ではなかったけどそれが正しい道であったと思う。
彼女が正しいって思ったのだからそれは彼女にとって正しい道。
私はそれを否定する権利はない。
私ができる事は唯…走ってきた彼女を抱きとめその髪を撫でてあげるだけだ。
彼女にここまで走れたご褒美として…


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