No40 紫陽花

あなたと会えた事が幸せでした。
あなたの手伝いをさせて頂いて幸せでした。
あなたの事を好きにならせて頂いて幸せでした。
だから何時までもあなたの傍にいたかった。
でも…あなたの気持ちに気づいてしまったから…
いつまでもあの時のようなあなたでいて欲しかったのに…

クリスマスまであと数日。
世の中のカップルにしてもまだサンタを信じている少年少女にしてもこの期間は浮かれる日々となる。
私が今一応ではあるけど兼部している女子陸上部でも少し浮かれている人間はチラホラといる。
というか私もその一人であったりする。
「さて…今回のメニューはこんな感じかな?」
今までは朝菜先輩一人のマネージャーであったけど夏休み中に起こった事件以降私は正式にこの女子陸上に入部している。
こんな事が許されるのはもう既に半ばこの部活を卒業している3年生の先輩達のお陰だった。
今は私みたいな人間の為に女子陸上を解放する為に先輩達と活動をし始めている。
部長となった先輩も忙しくなっている。
(そろそろ先輩も来るかな?)
時計を見て私は各自の練習メニューを纏め上げて部室のパイプ椅子に身体を預ける。
「でも、私達の関係はそろそろ決着つけないとな…部活としても人としての関係としても駄目だよね…」
(多分…このクリスマスを一緒に過ごせるかどうかが勝負よね)
最近の先輩の過度なスキンシップ。
私以外にしない事を見れば多分だけど私の事をどう思っているかはわかる。
でも、私は何度か先輩に思いは打ち明けているがその度にはぐらかされている。
こんな関係が続くはずが無いのだ。

「綾花、今日もがんばろー」
いつも決まって一番に部室に来るのは先輩。
「…触ろうが揉もうが抱きつこうが私はいいですけど他の部員が来たらやめてくださいね?唯の先輩後輩の関係でこんな事やってたら示しがつかない上に下手すると部員逃げますよ?」
もはや弄るというのが先輩の手つきに私は特に抵抗せずに忠告はしておく。
むしろ私としては嬉しいのだけどもやっぱり一応この部の長なのだ。
やっぱりビシっとしていてほしいものである。
「まぁ、いいじゃない…っとこれが今日のメニュー?」
私がさっき作り終えたメニュー表を摘み上げ中身を確認する先輩。
「とりあえず冬休み明けまではそのメニューですね。ですからすこし軽めのモノにしてあります」
メニュー表を見ながらなので半ば片手間になっている私へのスキンシップをいい加減振り解き私は一先ず自分の荷物を纏めマネージャーの仕事ができるように準備を始める。
「あと、そろそろ着替えてくださいよ?今の季節、日が暮れるのは早いんですから」
私は急かしながら外を見る。
学校から離れた位置にあるこの部室から見る景色はあの世界を忘れさせてくれる。
(この景色を守るためにもこの部活を守らないとな…)
私はずっと思っていた決意を再びここで確かめる。
さっきの思いの件もあってかその思いが一層強くなっていたのがわかった。

「これで終わりです。明日以降は自主トレになりますが基本的に今日のメニューをこなして頂ければいいです」
メニュー終了後に部員全員に連絡をする私。
この時期は基本的に新旧の体制を整える為の期間として設けているので3学期まではメニューを軽くし新体制のメンバーの仕事を支える為にある。
女子陸上の結成理由や存在意味を考えると役職付きのメンバーがしっかりとしていなければならない。
今日だって部長である先輩の仕事は多い。
「では、部長。あいさつを」
私は一歩下がると先輩が立つ。
今までの先輩と違いビシっとした空気を纏う。
「晴陽祭も終了し新体制になって1ヶ月を過ぎました。まだ引継ぎ作業等で練習も少なくなっていますが陸上部に負けないように各々練習していきましょう。クリスマスやお正月も近いですが適度に楽しむ事を心がけリフレッシュにも勤めてください…以上、解散」
今までと変わらない口調だけど凛とした姿勢で言う先輩。
その先輩の挨拶が終わると同時に部員達はシャワーを浴びに行ったりそそくさと着替えて帰ろうとしたりしている。
私と先輩と他の役職付きの先輩達を除いて…

「それで…最近の他の部活の動向はどんな感じなの?」
先輩が他の先輩方に尋ねている。
部員が帰った後の定例集会でいつも行われるやり取りだ。
「どうもこうも陸上の方は目の仇にしてるって感じぐらいかな…下手すると女陸の存在を知ってるのは陸上だけじゃないかな…」
「多分どの部活も変わってないと思うよ…元部長がどれだけ凄かったかわかるよ…こんな状態で初動を切れた訳だし…あたし達で次の一手を指せるかどうかが勝負になりそうなんだけどね…」
副部長と書記長が半ば諦めムードのような感じで現状を語る。
私を除きここにいる先輩達3人は引継ぎの際にこの学校の現状を語られた。
始めからこの女陸に入っていれば基本的に知ることのない現状。
そもそも誰もこの状態を話すような事はしないしできない状態で噂として流れても普通に考えれば冗談であろうと流されてしまう。
学校側も妙に権力があるのか校内の治安は全て生徒主導でこんだけの状態に対して警察も動かない…つまりは自分達で変えていかなければいけないのだが…
そんな状態で先輩は私の発言を待つかのように視線を向けるので私は兼部していた水泳部の状況を話す。
「水泳部の方は今までどおりでしたよ…まぁ、私は一応女陸という盾ができているので嫌な顔はされましたけどね」
思い出したくも無い光景が思い出されて嫌な気分になるが今はそうは言ってられない。
「なまじこの学校の部活の成績がいいのがまずいのよね…制度を変える程に私達に影響力はない…どうしたものか…」
三者三様で頭を抱える。
だけどそれで解決策が出るわけでもない。
「はぁ…まぁ最悪全部男女で別けるぐらいの働きかけをするべきなのかもしれませんね。その為にはまずは前例の証明が必要ですけど」
「それもそうね…よし、とりあえずこの問題は3学期に持ち越そう。今日はお疲れ。解散にしよ?」
そう先輩が言うと半ば苦笑いで皆帰宅の準備へとついていた。

太陽が既に海へ浸かり始めているような時間。
いつもだったらまだ部活をしているけどここ最近は引き継ぎ作業等の名目でこの時間に帰路につくことが多かった。
駅までであるけど先輩を独り占めして他愛の無い会話をしながら帰れるのはとても幸せだった。
だけど今日から少しだけ気持ちが違う。
あと数日の内に決着をつけようときめたのだから…
「ねぇ…私達って今どう見られているのかな…」
背が低い私はどうしても歩くスピードが遅くなってしまうのだけども先輩は私に合わせて歩いてくれている。
そんな横を歩いてくれている先輩からの突然の質問に私は少し唸ったあと答える。
「制服じゃなきゃ姉妹でしょうけど…制服だったらやっぱり先輩、後輩じゃないですか?私が飛び級した天才少女にでも見られるかもしれませんけど」
背の低さを少し自虐気味に入れてみながら答える。
すると先輩は突如私の手を握り足を止める。
私はそれに従うように足を止め先輩の方を見ると先輩は握った方と逆の方の手で私の顔を上向かせるとそのまま迷うことなく口付けをする。
───ほんの僅かな時間だった。
いつもはあんなにしつこいようぐらい触れてくる先輩にしては明らかにあっさりと離れる。
私が少し困惑して立ち尽くしている状態の中先輩が口を開いた。
「…これでも私達は先輩とか後輩っていう関係なのかな…」
どこか憂いのような感情が含まれた言葉に私は部活が始まる前に決心した事を再び心に蘇らせる。
「私は…先輩とならどんな関係に見られてもいいです。前からそう言ってますし…私は先輩が私にしてくれる事はどんな事でも受け入れたいです」
心から思っている事を口に出してみる。
今は理性だとか常識だとかそんなのは捨て去って行ってしまえば裸の心とでもいうのだろうか、そういう状態で先輩の言葉を受け止める事にした。
多分…これが今までの関係に終止符を打つ事になるから。
「綾花…私は綾花と手をつないで歩いていたいし抱きしめたいしさっきみたいにキスだってしたいよ」
私は先輩の気持ちを受け取るために真正面から聞き入れる。
あの先輩に目に少し涙が溜まっているのがわかる。
先輩の涙を見るのはこれで3度目。
夏休みの件と部長になって元部長から全部聞いた時と今日この日だった。
「でも、私達は女の子で…女の子同士なんだよ…世間が私達の関係を許す訳ない…」
いつもの先輩の雰囲気はどこかへ消えていた。
元気で満ち溢れているような先輩は今この場にはいない。
私はそんな先輩に投げかけはじめる。
下手すると止めになりそうな言葉を…
「さっきも少し言ってましたけど…先輩は私をどうしたいんです?私はこうやってあなたの隣に立っているだけでいいんですか?」
その言葉に少し口篭った後に言葉を紡ぎ出す先輩。
「…綾花に触れていたい…えっちな事だってしたいよ…私は…」
私にとって欲しい言葉がまだ先輩の口から私に向かって出ていない。
私はその言葉が出てくれる事を信じて追撃をする。
「それは、私じゃないと駄目なんですか?それだったら私以外でもいいんじゃないですか?」
突き放すような言葉は多分…先輩の事を思っての事だ…多分だけど。
「…そうだよね。でもこういう風に思えたのは綾花だけなの。ねぇ、綾花は私の事をどう思ってるの?」
「私は先輩の事を慕ってます。先輩の事が大好きです」
私ははっきりと言ってみせる。
それでも先輩は踏み止っている。
「私達は女の子なんだよ!?そんな感情おかしいと思わないの!?この国の制度も世間も絶対に許さない関係なんだよ!?」
怒鳴り気味になりつつある先輩に私は冷静にヒントを与えておく。
「それでも私は一歩を踏み出す準備も覚悟もしています。でも踏み出すのは先輩と一緒じゃないと嫌です…先輩が私の欲しい言葉を投げかけてくれれば私はどんな国だろうと、世間だろうと先輩と…朝菜さんと歩いていきます」
私はそう宣言すると先輩は俯く。
微かに地面を濡らしているような気がするが今はそこに気を回す余裕はない。
「…わからないよ…私には綾花が欲しい言葉なんてわからない…綾花に何を言ってあげれば私と一緒に歩いてくれるか…わからない」
私はこれが最後だと再び口を開く。
「私は今まで何度も朝菜さんに言ってきました…だけど私は一度も先輩からは言って貰えなかった…」
一つ私から涙が流れるのがわかる。
心に何も纏っていないから感情がダイレクトに表情、否身体全体に表れている。
「ごめん…綾花がそれだけ言ってくれていたのかもしれないけど…やっぱり私にはわからないよ…」
その言葉で私の恋は終わりを告げたという事にした。
多分…こんな私達の状態ではお互い幸せにはなれない。
「先輩。私は元気一杯な先輩が好きなんです。こんな泣いて立ち止まるような先輩は見たくないですよ?…いつか先輩の方から言ってくださいね…それまで私はちゃんと先輩として先輩の事好きでいますから…」
さっきまでの涙を拭う事さえせずに私に今できる最高の笑顔で言ってみせ先輩にハンカチを手渡す。
そのハンカチには一輪の花の刺繍が施してある。
今の先輩に私が求める姿の願いがこもった一輪の花が…

あなたと会えた事が幸せでした。
あなたの手伝いをさせて頂いて幸せでした。
あなたの事を好きにならせて頂いて幸せでした。
だから何時までもあなたの傍にいたかった。
でも…あなたの気持ちに気づいてしまったから…
いつまでもあの時のようなあなたでいて欲しかったのに…
あなたの元気な姿が私によってなくなってしまうのなら、まだ私はあなたの隣で一緒に歩けない。
あなたから私に寄ってきて私にあの言葉を囁いてくれるまで…
今はまだ唯の先輩と後輩のままで…
私が好きな先輩の姿を紫陽花の花に込めて


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