No36 ドジっ子なお兄ちゃん

私には兄がいる。
小さい頃に家出してつい最近再会した兄がいる。
10年近く会ってなかったけど全く変わってなかった。
正義感は強くて真面目なんだけども…少しだけドジなお兄ちゃん。
私が心許せる数少ない男性だ。

(折角、居場所がわかったのに全然会ってなかったな)
私が今立っているのは樋野萬相談所。
私のお兄ちゃんが経営している所謂何でも屋だ。
私は久々に会う為に訪れたのでCLOSEの看板を無視して呼び鈴を鳴らす。
「はい、今開けます…うわぁっ!!」
不穏な声と共に扉が開く。
それと同時に私の足元に一人の男が倒れこんできた。
「お兄ちゃん…探偵さんがこれだと仕事無くすよ?」
その男こそ私のお兄ちゃん、樋野啓次もとい本間啓次である。

さて、私こと本間理留と樋野啓次は実の兄妹である。
私達の苗字が違うのは別に両親が離婚しただの再婚した相手の連れ子で苗字を変えていないとかではない。
兄である啓次が高校時代に両親と喧嘩をして家を出て行った事が事の発端だった。
その後の詳しい事はよく知らないがこの事務所を構える際に両親からの雲隠れの意味を込めて父方の祖母の旧姓であった樋野を名乗り始めたらしい。
今では兄が本間姓である事を知っている人間はかなり限られているのだろう。
その兄…お兄ちゃんが夢であったという探偵家業に手を出し始めたという事を知って一度は顔を見せようとここを今日訪ねた訳である。
お兄ちゃんとは去年偶然街にて再会しておりその時読書家だったお兄ちゃんから本棚をねだったら翌日軽トラに本棚を載せて私のアパートまで届けに来てくれた。
名目としてはそのお礼を改めて言いに…というやつである。
しかし、当の本人というと…
「お前…いくら見てくれる相手がいないからってその下着はないだろう…プリントパ…」
転んだまま私を見上げるような形でそのような事を言うので問答無用で一度踏みつけておいた。

「全く…相変わらずドジするのは変わってないんだね」
私は部屋に上がり見渡し一言告げる。
「そうか?今日は偶々転んだだけでいつもあんな事になっている訳じゃないんだが…」
そんな言い訳をしているが私の目は誤魔化せない。
「その指の痕は明らかに火傷…そこのテーブルに灰皿が置いてあるって事は煙草を吸い始めていてそれで火傷したんじゃない?」
その指摘にお兄ちゃんは思わずしまったというような表情でさりげなく手を後ろに回すがいまさら遅いというやつである。
「それに、そこの本棚もお兄ちゃんが何か持っていた時と同じぐらいの位置に傷があるしそこの棚も明らかにぶつかって凹んでるし…」
ひとつひとつ指摘していく内にお兄ちゃんは降参でもしたのか一言「すいません。治ってません」とシュンとした感じで言っていた。

「まったく…この部屋には何もないのね。お客さんへの接待はどうしてるの?お茶もコーヒーも紅茶もなくて」
私は台所を借りて何故か大量に買い溜めされていた水を沸かし始めた。
「缶かペットボトルで対応してる。一応冷蔵庫の奥にあるはずだが…」
そう言っているので冷蔵庫を覗いて見るがその様な物は見当たらない。
私がその事を告げるとお兄ちゃんが台所まで来て冷蔵庫を覗くとその顔はしまったという顔。
「…買い置きが無くなったのね…というか電気ケトルもあるみたいだし、いい加減お茶ぐらい淹れれるようになれば?」
私は何故か置いてあった電気ケトルの空き箱を横目に少し飽きれながら言うと相変わらず少し弱気な感じでお兄ちゃんはそれに答え始める。
「いや…一度、客の前でそれで火傷して以来使わないようにと…」
私はもう一つ溜息を吐くとタイミングよくなのかヤカンが音を立てた。
沸いた事を確認すると火を止め、どうせ置いてないだろうと予想はしていたのでカバンからインスタントコーヒーを取り出して淹れる。
「お前、もしかしてこの状況を予想してたのか?」
少し驚いたような感じで言うお兄ちゃんに私は当たり前のように言ってやった。
「10年近く会ってないから少しは変わっていてくれるとは思ってたんだけどね?…ということで砂糖ぐらいはあるでしょ?持ってきてよね」
そう告げて私は電気ケトルを使っていた時代のだろうカップに淹れたコーヒーを持って応接間兼リビングに持っていった。

「まったく…こんなんだと仕事無くすわよ?」
私は淹れたコーヒーをブラックで啜るながらお兄ちゃんに言う。
当のお兄ちゃんは自分で持ってきた白い粒状の物体をスプーン一杯分コーヒーに入れて味見をすると一つしかめっ面をした後にまたスプーンで掬うとコーヒーに入れてかき混ぜながらやっと返事をよこす。
「仕事になればドジなんてしないって。今はオフだからあんなんになってるだけで…それに久々にお前に会ったから気が緩んだのかもな」
そんな事を言いながらまた一口飲んでそのまま置くとカップから手を離す。
どうやらまだコーヒー嫌いは治っていないようだ。
「昔っからだよね…相変わらずコーヒーは苦手?」
その言葉にムッとした表情でまた一口飲もうとするがその手はカップの取っ手に手がかかる所でとまっている。
「高校受験の時も夜更かしするからってコーヒー飲んで苦いって涙目になってたもんね…そんなお兄ちゃんが10年も家出して仕事も続いているなんて…嘘みたい」
そんな言葉に流石に癇に障ったのかやっぱりムッとした声で答えてくる。
「一応お金貰って仕事してるから失敗は許されない…何より今の仕事は楽しいからな。結局俺は夢追っかけてるのが楽しいんだろうな」
そんな言葉を聞いて私は少し安心して一つ疑問を解決しておこうと質問を繰り出してみた。
「それで…そんなドジだけど夢追人のお兄ちゃんは付き合っている人はいるの?こんなドジ踏んでるお兄ちゃんを好きになってくれる人はいるのかなぁ〜?」
ちょっと意地悪な感じで様子を探ってみると簡単にお兄ちゃんは…
「そっ…そりゃ彼女の1人や2人はいるさ」
引っかかってくれるのだけども聞き捨てならない言葉まで引っ張り出てきた。
「お兄ちゃん?本当に2人もいないよね?いる事にはビックリで済むけど2股は流石に許さないよ?」
(流石にお兄ちゃんが節操なしになってるとは思わなかった…)
そんなショックを隠そうとも私はせずに問いかけるとなんともお兄ちゃんらしい答えが返ってきた。
「…まぁ、2人いる訳だけどさ…両方ともに仕事の件で半ば脅されていて…結局2人ともお互いを知ってる状態で付き合う事に…」
「…情けないなぁ〜…それ」
私は冷ややかな視線と共にその言葉を差し出すと言葉も無いようでしょぼくれている。
(さて…なら、そのお兄ちゃんを手玉に取ってる女狐を確認しますか)
「お兄ちゃん、それでその2人ってどんな人?写真とかないの?」
そう尋ねると机を漁り二つの資料らしき数枚の紙が纏まった束を私に渡してくる。
私は受け取り2つの紙束の一番上に添付されている写真を確認する。
そこにはものすごく見慣れた人間と明らかにこれだと犯罪になる予感の人間が写っていた。
「えっと…とりあえず名前は?」
受け取った資料に載ってはいるのだろうけどここは改めて本人の口から言わせたい。
「えっと…そっちの大きい方が乃依…そういえば苗字は聞いてなかったな…それでちっこい方が長坂莉沙、小5だそうだ」
私の予感は当たっていた。
この顔で苗字を名乗らない乃依と言えばあの子だろうしもう一人は案の定小学生。
「はぁ…なんでよりによって乃依なのかしら…というかもう一人の方は犯罪でしょ!お兄ちゃんはロリコンにでもなったの!?」
「だから、こっちは脅されてんの!!こっちからどうにかしたいわ!!」
そんな事言いながらも真剣に困っているような雰囲気は感じられない。
なんとなくだけども少なくてもどっちかとはまんざらではないという感じだ。
(まったく…ドジ踏んで結局それを好機にするとか…)
「…まぁ、結局当人達で解決してもらうしかない訳だけど…せめてコーヒーぐらい淹れれる方にしなさいよ?」
私は冷め始めているコーヒーを一気に飲み干してそう言うと相変わらず理解できていないというような表情をしているお兄ちゃんがそこにいた。
「せめて、この事務所の接待要員になってくれる人ぐらいにしなさいって事。結婚でもしたらそういう関係にもなってもらわないといけないでしょ?」
その言葉でやっと合点いったのか「そうだよなぁ…」なんて呟きながら顎を擦りながら宙を見ているお兄ちゃんに思わず笑ってしまう。
そんな時に不意に事務所の外から少し賑やかな喧騒が近づいてくる。
それに気づいたお兄ちゃんは慌てているが私は至って冷静に対処することにする。
「はてさて、お兄ちゃんの元気な顔も見れたし私は失敬するよ…せめて乃依のフルネームを聞きだせるぐらいには探偵の腕磨かないと駄目だよ?後は、乃依を泣かせたら私が殴りに来てやるからね…振るならちゃんと振ってあげればあの子は後腐れなく消えてくれるはずだから」
そんな忠告を残して私は玄関の方へと駆けていく。
丁度私が玄関から出ようとした瞬間に件の二人が私の前に現れた。
乃依の方は驚いた表情をしていて莉沙ちゃんの方は明らかに疑いの目を向けている。
「お二人さん、兄をよろしくお願いしますね?少しは脈はあるみたいですから将来の義妹からのお願いです」
そんな事を言って二人の横をすり抜けていくと後ろから兄が何かを言おうとして立ち上がり転んでいるのを見て私は一つ笑う。
二人にはお兄ちゃんのこんな姿が珍しいのか慌てているけど私はまた一つお兄ちゃんに忠告して今度こそ事務所を後にした。
「お兄ちゃんがさっきからコーヒーに入れてたの砂糖じゃなくて塩だからお二人さんにはちゃんと砂糖を出してあげてね?ドジなお兄ちゃん」


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