No35 コーヒーとコーラ

カップに注がれた黒い液体。
ボクと彼と一つずつあるけどお互いまったく違う飲み物。
彼とボク、一体どっちが子供なんだろうか。
気泡を飛ばす黒と深い香りを放つ黒。
今日は一度取り替えてみましょうか。

ボクには彼氏がいる。
とは言っても複雑な関係で3人とも公認の3角関係。
それどころか好き合っている矢印は無くって一方的に同じ人をボクともう一人の娘が好きになってしまって結局恋人ごっこのような形で付き合っている…というかもらっているという方があってるかもしれない。
それでもボクとしては取っ掛かりが手に入っただけで一応は満足している。
それでその彼氏というのが今ボクのいる樋野萬相談所所長である樋野啓次。
彼はただ今仕事中のようで電話応対に追われている。
私はその様子を見ながら何故か彼が大量に備蓄しているミネラルウォーターを一口口にする。
(まだ終わんないのかなぁ…)
一応彼女をやってるボクだけどライバルと違ってデートの一つもした事はない。
今日こそはと思ってきたのにこの有様…今日も無理そうだ。

「どうもすみませんでした…はい、ではまたのご利用をお待ちしてます…」
彼が電話口にそういうと静かに受話器を置く。
(ん、終わったかな?)
ボクは声をかけようとした瞬間に彼は声を荒らげて席を乱暴に立ち上がった。
「ったく…やってられるか!!おい、乃依。気分転換に出かけるがお前はどうする!?」
ものすごく機嫌の悪そうな彼だけどボクは迷うことなく返事をする。
「もちろんお供しますとも」
こんなきっかけの初デートだけどもボクは満足して彼の後ろをついていく事にした。

「まったく、こっちは完璧にこなしたっつうの…」
文句を垂らしながら歩く彼にボクはその理由を問いかける。
「ん?あれだよ…結局の所クレーマーみたいなもんだ。猫探せっつうから探して連れてったら次の日またいなくなったんだとよ…そっちが悪いとか喚いて無償で探せっつうから懇切丁寧に他の同業者の連絡先教えてやったよ」
いつもは殆ど吸わない煙草を咥えながら歩く彼の横を歩くボク。
多分、気分を落ち着かせる時に吸っているのだろうけどあえてそこには突っ込まずに今日のこのデートについて聞いてみることにした。
「それで、今日はどこに連れて行ってくれるんです?やっぱりショッピング系ですか?それともやっぱり落ち着いた所でお茶です?…なんなら丁度おこちゃまもいませんししっぽりといくのも…」
そんな事を言いながら彼のロングコートの袖口を少し引っ張ってみると彼は立ち止まり考えるような仕草をしはじめた。
(も…もしかしてこれは一歩リードできるチャンスでは?相手は小学生だしホテルには入れまい…)
思わず顔がにやけるのがわかるがここはなんとか抑えてもう一押ししようと口を開こうとした瞬間に彼の返答がくる。
「なんか飲み行くか」
その一言と共に彼はボクの手を袖口から外しそのまま手を繋いでくれた。
「まぁ、一応付き合っているという契約だしな。このほうがそれっぽいだろ?」
そう言いながら目的地の方へと歩き出す彼にボクは思わずクスリと笑った後一つ言葉が零れた。
「まるで子供同士の恋愛観ね…」

「…なんですか、ここ」
手を引かれてたどり着いた先は店内が騒がしくそれでいて見慣れた光景。
「ん?俺の行き着けの店。ここでよく頭冷やすために来てんだよ」
「そうですか…」
彼はメニューから目を離さずに言い決まったのかボクにメニューを差し出してくるがボクはそれを辞退しさっさと店員を呼ぶ。
(まったく…まさか彼がここに来ていたとは…というか大人同士のデートでここはないでしょ…)
そう、たどり着いた先はボクのバイト先である『トワイライト』だった。
ほぼ毎日フロアに立っているボクが彼に気づかなかったというのは不覚ではあるけど流石に学生でもないのにここでお茶するとは考えたこともなかった。
「まったく…せっかくのデートなのにもうちょっとお洒落なカフェとかにできないの?」
ボクは呼び出しベルを鳴らしてから腕時計の秒針を確認しながらそんな文句を垂れる。
「気分転換だけでデカイ出費は止めたいからな」
「ボクはそこまで高いお店は要求してないよ。確かにここの方が安いけど『クラウド』あたりでもよかったのに」
ボクは遠まわしにコーヒーがおいしいと評判のお店の名前を混ぜてみるが特に反応はなくそのまま無言が続きその間に店員が注文を取りにやって来た。
(ふむ…規定時間より10秒遅いけどこの混雑具合ならセーフかな)
ボクは時計から目を離し店員に声をかける。
「ちゃんと仕事してるみたいだね。ボクは…」
そこまで言って言葉が詰まる。
(あちゃー…新人さんあたりだと思ったのにな…よりによって…)
「お褒めの言葉ありがとうございます。ご注文の方どうぞ」
注文を取りに来たのはまるで小学生のような彼女…向山美波だった。
「俺はドリンクバー頼む」
ボクは後悔の中であったため彼の注文を聞き逃していたのだがそのままボクも注文をしておく。
「アメリカンよろしく…」

「にしてもお前がここでバイトしてたとはな」
タバコを一本吸い終わり灰皿で火を消すと彼きそう会話を切り出してきてくれた。
「まぁ、この不景気雇ってくれるだけありがたいですからね」
ボクは先に出されたお冷を飲み干すと中に入っている氷を弄びながら答える。
「でもボクの方も行きつけって言える程樋野さんが通っているなんてビックリだよ。バイト中多分一度も会ってないんじゃないかな」
彼はそのままもう一本吸おうとタバコを口に咥えてこっちを見た瞬間に何かに気付いたのかそのままタバコを戻し懐に仕舞っていた。
「そういえば乃依は煙草苦手だったよな…すまんな」
特にそんな事を言った記憶はないのだが確かにボクは苦手だ。
元よりあまり火に対して良い印象がないからというのもあると思うけどタバコは苦手なのだ。
(けど…それ程嫌ってる表情でもしてたのかな…)
ボクは思わずそれをたずねようとしたら彼はそのままさっきの話題を引きずり話しはじめた。
「まぁ、さっきのちっこいのぐらいしか接客に来ねぇから当たり前かもな」
(はて、何故あった事が無かったのだろう…)
特に時間は分け隔てなく入っているボクが一度も会わないというのはおかしい。
ボクは回りを見渡し一つ気付く。
「もしかしていつも喫煙席にいた?」
その問いに彼はまるで何故その問いがきたのかがわからないというような表情で答える。
「そりゃここに来るのは結局腹立った時だし吸うから喫煙席だな」
ボクはその答えで確信にたどり着いた。
「それじゃ会いませんよ…ボク喫煙席には行きませんから。さっきの美波さんかパートさんか店長ぐらいしかこっち来ませんし」
過去に一度だけであるけどタバコによる事件が一度起きてしまってから店長の計らいもあって未成年と希望者に関しては喫煙席へのオーダーを取りに行く事を辞めさせてくれている。
チーフという身でもある美波さんは別だけどボクはこっちへのオーダー取りは先の理由で辞めさせていただいているのだ。
そんな会話をしていると美波さんが注文の品を持ってきて彼にドリンクバーについて説明をしていた。

鼻腔を擽る良い香り。
ここの店長は元喫茶店のマスターというのもありコーヒーを淹れる機械と豆はファミレスにしては規格外レベルの良い物を使っている。
確かに使うのは大半が素人のバイトだけどそれでもそこらのファミレスでは太刀打ちはできないだろう味を出してくれる。
コーヒーが好きなボクとしては安価でおいしいコーヒーを出してくれるここはとてもありがたい。
(さて、いつも水しか飲んでないような気がする樋野さんは何飲むんだろう)
ふとドリンクを取りに行った彼の事が気にかかる。
何せあの事務所兼住居では飲み物はミネラルウォーター以外の飲み物が置かれていない。
インスタントのコーヒーもティーバッグの紅茶すらも無い。
冷蔵庫の中身までまじまじと見たわけじゃないけど多分食料等で埋まってるだろう。
(日常、水しか飲んでない樋野さんがドリンクバーとなると…まさかそのまま水でも入れてきたり…)
なんて失礼な感じの事を考えていると彼が戻ってきた。
持っていたグラスには黒い液体が湛えていた。

一度見た時はアイスコーヒーだと思っていた。
だけどそれにしては色が薄く気泡が立っている。
まさにそれは…
「コーラですか…」
ボクはどことなくがっかりした感じで言って見せる。
「悪いか?いつも水しか飲んでないから味がある飲み物が飲みたいんだよ」
「ならコーヒーでもいいじゃないですか」
そんな理由にボクは反論というか提案をしてみるが返って来た返事は少し呆れてしまった。
「コーヒー?苦いじゃないか」
思わず口を付けていたコーヒーを吹きそうになる。
「子供ですか…そんな理由、というかコーヒーの苦みでウダウダ言わないでください」
そう言っておくと彼から質問がやってきた。
「なら、乃依はなんでコーヒーなんざ飲んでるんだ?」
「ボクは大人ですからコーヒーもおいしく飲めるんです」
そう言った後思わず言葉が零れる。
それも彼と同じタイミングで同じ言葉を。
「子供みたいね」
「子供みたいだな」

お互いの飲み物が半分程無くなった頃にボクは一つ提案をしてみた。
「なら、一度交換してみましょう」
唐突の提案に彼が戸惑っているのがわかる。
「お互い子供っぽいなんて思っているんですから一度お互いの物を飲んでみようじゃないですか。ここのコーヒーはただ苦いだけじゃないんですよ?」
そう言うと彼は渋々ボクの方にグラスを渡してくる。
ボクはそれを受け取り彼にカップを渡す。
そして彼が意を決したかのように一口飲む所を見届けるとボクも口を付ける。
意図せずではあったけど彼とは二度目になる間接キス。
(いつかちゃんとキスできる日が来るのかな…)

「やっぱり苦い」
「コーラおいしいですね」
お互いの1口飲んだ感想は真っ二つに割れた。
そしてお互い再び同じ言葉が零れる。
「子供みたいね」
「子供みたいだな」
その言葉にお互い笑い合うといそいそとお互いカップとグラスを元に戻し口直しかのように口にする。
「結局俺にはこっちがあってるんだよ。無理には変えれないな」
「ボクもこっちの方がいいです。だって太りそうですし」
そんな事を言いながら少しずつ時間が過ぎていく。
お互いの手には黒い液体が揺れていた。

カップに注がれた黒い液体。
ボクと彼と一つずつあるけどお互いまったく違う飲み物。
気泡を飛ばす黒と深い香りを放つ黒。
格好つけずに自分に正直な彼とちょっとだけ見栄を張りたいボクはどっちが子供なんだろう。
それこそ二人とも子供なのかもしれない。
こんな他愛のない事からボクは彼の事を少しずつまた好きになっていく。
コーヒーとコーラは混ざると大変な事になるけどボクと彼は好きな飲み物がそうであるだけできっと二人は混ざってもいいはずだよね。


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