No31 同人誌

───「貴方の事が好きだから…」
その言葉の後に突如麻紀が近づく。
俺は思わず目を閉じそのまま俺からも近づく。
そこで触れる唇と唇。
その感触はまるで…───

「…まるでなんなんだよ…」
そこまで書くと俺は筆を止める。
経験のない事は書けないというがここまでだとは思わなかった。
完全に筆が止まってしまった。
今居るファミレスには同級生がバイトしているが流石に働いている中恋愛事情なんて聞けるはずがない。
(諦めてあいつに聞くか…)
俺が携帯でメールをしようとした瞬間、店の扉が開く。
普通なら気にはしないのだが少し騒がしめに入って来た為に何となく携帯をしまい原稿用紙の方に目を落とし目を合わせないようにした。
特に誰かと待ち合わせている訳でもないので俺の席には俺以外座るはずはないのだが…
「よっ!少年」
先ほど入って来た騒がしい客が聞き慣れた声で俺の対面に座る。
「こんな所までそのテンションなんですか…」
俺は顔を上げて確認する。
案の定そこには真理香さんがいた。

真理香さんは席に着き俺だという事が確認できると満足したのかそのままメニューも開かずに店員の姿を確認すると声を上げる。
「み〜ちゃん!!13番テーブル、ケーキセットでホットの紅茶とティラミス!!」
呼び名に多少疑問に思うがおそらく俺のクラスメイトの向山に注文を頼んだのだろう。
向山が伝票を操作し一つ溜息を吐くと奥へと引っ込んでいった。
「貴方…せめて飲食店ではそういうのは…いくら知り合いだからと言ってあれはないでしょう。向山も少し溜息ついてましたよ?」
少し睨むように言うと真理香さんは悪びれることなく手をヒラヒラさせながら俺の言葉に返す。
「まぁ、バイト仲間だしいいんじゃない?というか、向山って?」
そんな疑問を俺に投げかけてくるがその質問は想定外であって思わず戸惑う。
(あきらかにあれは向山に対して注文してたよな…でもなんで向山の事を知らないんだ?)
疑問が湧いてきて思考がそればかりに行ってしまっていると真理香さんもそんな俺に対して疑問を持ったようで何も喋れないでいる。
そんな中に向山が注文の品を持ってやってきた。
「ご注文のケーキセットです」
そう言いながら品を置く。
「ご注文の品はこれでよろしいでしょうか」
定型文を羅列する向山だがそのテーブルに置かれた品に対して真理香さんは突っ込む。
「私はホットティーを頼んだけどこれは明らかにアイスコーヒーなのですが」
「よろしいでしょうか」
ものすごい冷ややかな目で繰り返す向山に真理香さんは諦めて「よろしいです…」の一言。
「それと、これ私からのサービスです」
そう言うと伝票と共に大きな…A4サイズぐらいの紙を2枚程何らかが印字されている面を下にテーブルへ置く。
すかさず紙を取り確認する真理香さん。
「ちょっと、これって…」
「業務改善提案書です。今月中にお願いしますね」
にこやかに言う向山に俺は少し真理香さんが気の毒になって駄目もとで提案してみる。
「まぁ向山、反省はしているようだし半減程度にしてやれんか?」
その提案に少し考えているのかその場で考える仕草はしている。
そんな中空気が読めないのか真理香さんの口から爆弾が投下されていた。
「ちょっと、少年。彼女はみ〜ちゃんであって向山じゃ…」
その一言は向山の逆鱗にでも触れたのだろう。
青筋が立っているのがわかる。
「お客様?私の胸元に付いている名札が見えません?確かに私は小さいですけどほんの少し目線を落としていただけるだけで見えるとは思うのですが?」
その指示通りに真理香さんは目線を胸元にやる。
「えっと…向山…へっ?別人?」
俺と向山は大きく溜息を吐く。
流石にもうフォローはできない。
「すみません。そういえば自己紹介の時に名前から言った関係でお客様が私が苗字を言う前にみ〜ちゃんとか言い出したので満足に貴方には紹介できてませんでしたっけ。本日このテーブルでオーダーを承りました向山美波です。今後ともご贔屓に」
そう言いながらサービスであった水の入ったコップをテーブルに叩きつけて去っていく向山。
そんな去り際に一度だけ振り向いた向山は「御用の際は名指しでなくて呼び出しベルをご使用くださいね」と一言残して今度こそ奥へと引っ込んでいった。
これからの向山と真理香さんの関係も気になるがとりあえず一嵐去ったので原稿の方へと頭をシフトさせる。
「へぇ〜…み〜ちゃんって向山って苗字だったんだ。知らなかった…という事は…」
そんな事を呆けた表情で言う真理香さんを他所に。

「にしても、貴方ってここでバイトしてたんですね」
原稿から顔を上げずに問いかけてみる。
「まぁね。ここの店長と知り合いでその時ちょっと暇してたからオープニングスタッフのお願いに乗ってそのままやってるよ」
真理香さんの答えを聞き今客席側に立っているウェイトレスの姿を見てみる。
ファミレスと言う割には華美であったり目で追うような制服ではなくどちらかというと清楚な感じが取れる…どちらかというと喫茶店のバイトとかが着てそうな制服。
そんな制服姿の真理香さんを想像すると思わず笑いが込み上げてくるが抑えておく。
「少年…多分ここの制服が私に似合わないとでも思ってるんでしょ」
そんな言葉に正直に答えられるはずもなく俺は誤魔化すように原稿に向いている手を動かす。
「まぁ、街の方のフリフリ全開な制服よりはマシでしょ?って、少年…私が折角相席してあげたのになにやってるのさ」
文句がありそうな声で問いかけてくる真理香さんに俺は正直に答える。
真理香さんの性格を考えれば答えておくのが一番の得策だ。
「文化祭の準備です」
正確だが完璧ではない答えを出す。
その答えにやっぱり不満なのか俺の原稿用紙を覗き込む真理香さん。
「ふむふむ…少年は文芸部か何かなのかい?」
この様子を見ればそう結論付けるのが普通だろうけど俺の場合は少々事情があった。
「昔取った杵柄ですよ。中学時代が文芸部で高校では委員の方になったから入ってませんけど、どうしてもページが足りないからゲストで寄稿してくれって…俺も忙しいんですがね」
正直に理由を話す。
それで目の前の問題が解決する訳ではないがそうでも言っておけば後々打開策が見つかるかもしれない。
「ほぅ、同人誌と言うわけね…私も似たような事やったなぁ」
その言葉に俺は思わず身を乗り出す。
「貴方、物書きか何かなんですか!?」
「ちょっと、少年オーバーだよ」
俺は思わず乗り出した身を引っ込め真理香さんの言葉を聞く。
「似たような事って言っても私の場合は体験談の提供しただけ。まぁ、原作者みたいな感じで、去年なんだけど会報誌作るけどネタがないっていってた漫研の友人に留学先の事を話してあげただけだよ」
その言葉に俺としてもその話を聞きたくなっていたが一つ疑問が生まれた。
「貴方、留学してたんですか」
「まぁね、一年生になった時早々と思い立ったからヨーロッパの方へ語学留学してるよ?おかげでダブったけど…」
その言葉に思わず溜息を吐く。
「貴方…1年でなく2年もダブるつもりですか…」
そんな俺の言葉に豪快に笑い飛ばしながら真理香さんは答える。
「まぁ、留学はダブりとはあまり見なされないだろうけど今年のはマズイかもねぇ〜…就職とか厳しいかも」
「笑い事じゃないでしょうに」
再び溜息が出そうになるがとりあえず話も進まなくなりそうなので止めておく。
「それで、そんな少年は筆が止まっているけど…どうしたの?」
痛い所を突く真理香さん。
「まっ…まぁ、体験していない事に対して想像すら湧かなくて困ってるんですよ」
いつも通りなのだけど何故か真理香さんには正直に話してしまう。
そんな俺の状態なのだが真理香さんはなんだかんだで答えまで毎回導いてくれているのでいつの間にか頼ってしまっているのだろう。
「ふむ…確かに現実に起こりえる事で未体験の事を書くのは難しそうだね…体験している人には不自然に見えるだろうし…」
そんな事を言いながら考える仕草をしてくれる真理香さん。
毎回の事ながらだけども今回も世話になってしまうのかもしれないと少し不甲斐ないながらも少し期待してしまう。
(もしかしたら突破口が開けるかもしれないしな)
そんな事を考えている内に真理香さんが行動を起こし始めた。
「まぁ、なにより今の状態を知らなければ手伝うにも手伝えないっと…見せてもらうよ?」
そんな事を言いながら原稿用紙を俺から奪い取る真理香さん。
「ちょっと!!俺が説明すればいいだけで!!」
そんな制止も空しく原稿用紙に目を通し始める真理香さん。
気まずいような恥ずかしいような時間が始まった…

「ふむふむ…」
最後の一枚…書きかけで止まっていた一文まで目を通すと真理香さんは原稿用紙から目を離し俺の方を向いた。
「夏の一時の淡い恋物語ね…文化部で元々半ば引篭もり気味だった主人公が偶々外で出会った年上の先輩に恋をするっと…なんというか願望入りまくり?」
容赦無い口撃に思わず目をそらす。
「まぁ、少年がどんなモノをご所望かはわかったけどね…少年はした事ないんだ」
横目で見るとものすごく意地の悪い顔でにやけている真理香さんがいる。
(全く…この人には勝てない)
無論、別に論破されている訳ではないので反論もできるし流す事もできるが俺には真理香さんに対してその選択肢は取れない。
しかしそのまま屈服するのも癪なので少し嫌味は付け加えておく。
「どうせ彼女どころか親しい女友達もいませんよ。そんな貴方こそ無いのでは?男は近寄らないって言ってたのですから」
過去の発言を掘り返し投げつけてみると真理香さんはきょとんとした表情で発言する。
「そりゃいなかったけどキスぐらい…というかもう少し先ぐらいまでならあるよ?流石に純潔は奪われてないけど」
「はい?」
その答えに思わず俺は聞き返す。
「レズっ気のある子は何故か私に集まってくるからね。気の迷いというか知的好奇心というかそんなんで何回かはあるわね」
「貴方…そこまでして捨ててきたのですか…」
俺は一つ溜息を深く吐いて席に一度深く掛けなおす。
「まぁ、もう付き纏わない条件として最後に一度だけってことでね。流石に私だって傷つけるような事はしたくないし」
そんな言葉に俺は何故か少しだけ安堵していた。
「それより少年…君の力になれるかもしれない」
そう言うと少し机から乗り出すような格好でこっちに身体を寄せてくる真理香さん。
(まぁ、そりゃ体験談とか話してくれるのだろうしあまり他人に聞かれたくない内容だろうな…)
そんな軽い気持ちで俺も身を乗り出す様に顔を近づけると真理香さんは語りだす。
「少年…秀次はこの続きの部分で困って止まっているんだよね?」
心なしか頬を紅く染めながら言う真理香さんに少し戸惑いながらも俺は肯定の返事をしていた。
「そうか…なら」
その一言の後、急に真理香さんが俺の方へと身体を寄せる。
対応できずにいた俺は唯為すがままでそのまま俺と真理香さんの唇の距離はなくなっていた。
その感触はまるで…

「んっ…はい、これ以上はお預けね?」
そんな言葉を唇を離した瞬間に言う真理香さん。
同時に周囲から微かに殺気が生まれているような気がするが真理香さんといればよくある事なので気にはしない…が、流石にそれ以外の視線は少し気になる。
そんな身を乗り出した状態でお互い見つめ合っていると少し気まずくなってくるがなんとなくこのままでいたかった。
できるならもう一度なんて願望もあって…

───「貴方の事が好きだから…」
その言葉の後に突如麻紀が近づく。
俺は思わず目を閉じそのまま俺からも近づく。
そこで触れる唇と唇。
その感触はまるで…───

俺はそこで筆を置いた。
あの後俺は続きを書くのでなくこれに集約するように書き直していた。
決してあの感触を例えれなかった訳ではない。
俺はこの二人の物語を終わらせたくなかった。
書いてしまうとなんとなく終わってしまうような感じがしたから…
だから俺はそこで筆を置いた。
彼と彼女の物語が無限に続く様に俺も貴方と無限に続く物語を続けれるようにと…


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