No28 ペットボトルに残った水

争いなんてほんの些細な事で起こるものだ。
戦争というのは幸せの椅子が一つ足りない時に起きるとも言われるがそれももっともだと思う。
それこそ、たった一本のペットボトルに残った水でさえ争いの種になる。

暑い日々がまだまだ続き電気代を気にしながらもクーラーを点けながら仕事をする。
今現在扱っている仕事が少し下調べが必要な件であった為暫くは部屋で資料を漁る日々が続きそうだ。
そんな状態でいると喉が渇くが席を立って飲み物を取りに行くのも億劫なのでいつも安価で手に入るペットボトルの水を常駐させている。
それこそ水道水でもいいがまぁ常駐させやすいというだけの理由でもある。
「あ〜…静かなのっていいな」
思わず声に出る本音。
9月に入り夏休みと呼ばれる期間中に入り浸っていた人間も学校へと行っており一人になれる時間が増えた。
その間は仕事の方が滞りがあった為に少し本腰を入れておかないとまずい事もある。
「さて…喉渇いたな」
俺は飲みかけであったペットボトルを資料から目を離さずに探すも見当たらない。
「ん?水探してるの?ごめん、ボクが飲んでたよ」
そう声が聞こえて俺の顔の真横からペットボトルが現れる。
「おっ、サンキューな…ん?」
俺は受け取り口付けて気付く。
「おっ…間接キスだ」
そんな声が聞こえてゆっくりとキャップを閉めるととりあえず尋ねておく。
「お前誰だ…」
振り向きつつ見てみるとそこには見慣れない顔の人物がいた。
「ボク?あ〜…やっぱり忘れられていた。えっと7月の終わりに街で助けてもらった乃依です」
そういう自己紹介が俺に行われた。

全く気配すらさせずにこの部屋に入り込んできた女は乃依と名乗る。
乃依によると俺は7月末に追われている所を助けたらしい。
俺は記憶を辿ると思い当たる節があり細部まで思い出してみればそんな事もあってこの女であった事も思い出す。
(まぁ、本人であると確証はできんけどな)
俺はとりあえず真相はどうであれこの女…基乃依の行動の意味を尋ねる事にする。
「さて、そんな貴女が此処に来たという事は何かご依頼でも?」
とりあえず営業用の顔をして尋ねると乃依は不思議そうな顔をしながら一言。
「遊びに来ただけだよ?」
その一言に俺は肩透かしを食らう。
「はぁ?遊びに来ただ?帰ってくれ、仕事中だ」
金にならないならと俺は邪見に扱う。
やっとあいつがいなくなって仕事ができるというのに訳が分からないような人間がもう一人増えて再び時間を失う訳にはいかない。
俺が再び資料の方へ目を向けると乃依は物凄く不満そうな声を上げながら俺にくっついてくる。
「えぇ〜、気軽に来てくれって言ったの樋野さんじゃないですか」
無暗にでかい胸が俺の頭に当たっているが今の俺にはそんな色仕掛けもどきは効かない。
「あれは、依頼があればって言っただろ!!俺は今忙しいんだ!!」
俺は一言怒鳴っておくと卓上の時計を確認する。
時刻はそろそろ3時を回るぐらい。
今日一日で結構進んだがやかましいのがここに来る前にもう少し進めておきたい。
それどころかこの人間と鉢合わせさせたくない。
「とりあえず…帰れ!!」
なにがとりあえずかはわからないがそう言いながら乃依の顔の方へと顔を向けるととてもにこやかな顔をしながらカメラを片手に持ちもう一方の手で指差す。
その行為に何となく嫌な予感と似たよう光景が脳裏にフラッシュバックする。
「それは…何が言いたい」
思い当たる節が多すぎて何を示す行為なのか見当がつかない。
俺が一つ身構えると乃依は笑みを崩さず言葉を紡ぐ。
「まぁ、ボクは写真家…現在はゴシップ系の記事担当してましてね?ちょっと面白いモノが撮れた訳で…」
そう言いながらカメラを弄りデジタルカメラである乃依のカメラの画面に一枚のデータが表示される。
そこには俺の仕事をしている画像が映し出されていた。
「まぁ、ボクもあの街で立ち回っているから軽蔑はしないけどこれは普通に捕まっちゃう内容だよね?」
不敵な笑みを湛える乃依にあの日の莉沙がダブって見える。
「何が目的だ…というか、いっそお前を消すのも手か…」
俺は部屋着用のコートの懐に手を入れる。
「ん?わかっていると思うけどボクを消しても無駄だよ?ちゃんと手立ては打ってあるし少なくてもこの街からは出ていく事にはなると思うけど」
(なんで俺の周りにはこんな奴ばかり集まってくるんだか…)
俺は一つ溜息を吐き再び問う。
「何が目的だ?釣り合うような内容だったら俺も商人だ…飲んでやる」
交渉の場に俺が立つと乃依はあっけらかんとした感じで答える。
「お付き合いしてください」
「はい?」
完全に莉沙と同じ事を取引をしようとする乃依。
俺は思わず頭を抱える。
莉沙の事があるのでこの件は飲めない。
俺がどうしようかと考えている時に乃依は机上のペットボトルを開け口を付けている。
俺は少しでも時間を稼ごうとその行動に口を挿む。
「おい、それ俺の飲んでたやつだろ。喉渇いたなら出してやるから…」
そこまで言って俺は立ち上がるとふと玄関の方に目が行くと俺は思わず固まった。
「ごめんね。先にただいまって言うべきだったかしら」
そこには明らかに笑っていない顔の莉沙が立っていた。
「私だって…まだキスなんて…間接だろうと拒否してたくせに…」
そんな事を呟きながら乃依の前に立ち持っていたペットボトルを奪い取ると一気に飲み干す寸前までいくと俺の口に残りを捻じ込まれる。
「とりあえずこれで平等…っであなたは誰?」
「ボク?ボクは乃依。彼に助けてもらって惚れちゃってここまで来ただけ…キミは妹さん?」
明らかに二人の間に火花が散っているように見える。
「私は啓次の彼女なのよ!!横から奪っていような泥棒猫はさっさと帰れ!!」
「…もしかして、樋野さんってロリコン?」
物凄い疑いの眼差しで俺の方を見る乃依に俺は弁明する。
「ちょっと弱み握られて一年間だけ付き合ってんだよ。俺をその気にさせたらその後の事考えてやるってだけだ」
捻じ込まれたボトルに栓をして弄びながら言うと乃依の勝ち誇ったような声が上がる。
「なら、ボクもあのデータで同じ取引をしましょう。先ほどは期限なんて設けませんでしたけど今度は1年でいいです。対等な条件のはずです!!」
正直とても断りたい。
だが、ここで断っても余計話が拗れるだけだろう。
俺は仕方なしに折れる事にした。
「わかったよ…だがお前ら俺の仕事だけは邪魔しないでくれ…」
懇願にも慈悲を求めるようにも取れる自分でも情けないと思える声で降参をしていた。

嵐のように口喧嘩をしながら過ぎていく一日。
俺はその中で資料を読み漁りながらいると莉沙の帰宅時間となり喧嘩したまま帰っていく二人。
残ったのは争いの口火を切ったペットボトルと喧騒の余韻。
俺はそのペットボトルを再び手に取り弄びながら一人呟く。
「全く…今日は散々だ…」
これから訪れるだろう面倒そうな日々に少し疲れを覚えながらボトルを机上に置くと中に残った僅かな水分が底へと落ちる。
「全く…どう考えたってどの選択取っても全員ハッピーエンドなんて訪れないじゃないかよ…」
静けさの中椅子に身体を預け天井を見ながら呟く。
聞こえるはずのないボトル内の水分が落ちる音が聞こえたような気がした。

人の感情というのはやっかいなものだ。
ちいさな出来事が積み重なっていつの間にか姿形を変えていく。
まるで飲み干したはずのペットボトルに僅かな水滴が残っていて数々のそれが底に溜まり湛えるようになるように。


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