No20 ショック

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
定型文な台詞を言うと私は時計を見る。
時刻は9時を少し回ったぐらい。
(ラストオーダーまであと30分ぐらいか…)
私は客席を見渡し特に問題がなさそうなので裏へ下がっていった。

「みーちゃんお疲れ〜」
下がった先には私と同期の真理香さんがすでにいた。
「そのみーちゃんっていうのやめてくれません?」
私は客席が見える位置に座りながら真理香さんの言葉に突っ込む。
「別にいいじゃん。まぁ、そんなに嫌なら他のあだ名を考えるか…」
「あだ名じゃなくて本名で呼んでくれても構いませんし…というかそんな事考えるなら改善案でも考えておいてください。」
私は特に顔を合わせず客席の先にある窓の外の景色を眺めていた。
「いや〜…ほら、せっかくの少ない同期なんだからさ。仲良くしようよ…ね?」
私と真理香さんはこの店『トワイライト』のオープニングスタッフだった。
この時のメンバーが店長を合わせても10人に満たない人数で普通のファミレスを回していたのだ。
この『トワイライト』は店長が一念発起で喫茶店からこの潰れたファミレスの土地と建物を買い取りスタートしたらしいです。
その喫茶店の名残として制服はワイシャツにスカートで腰からエプロンを垂らすというような形。
正直、切羽詰ったような状態でバイトを探していたのでどんなモノでもやってやろうと思っていた矢先の募集に飛びついたのはよかったのだけれども変にかわいい制服でなくて良かったと今でも思っています。
「大体、別に仲良くしないっていってないじゃないですか…あ〜もう、いいですよ。みーちゃんで…」
私はなんとなく変にこじれるのも嫌なので承諾してしまったがやっぱり少し後悔しているような気がする。
「それより…」
乃依さんが少し忙しそうだと言おうとした瞬間だった。
窓の外の景色が私の目に映る。
(あれ?あれ裕也?)
目に映ったのは私の彼氏である裕也。
別にこのファミレスに来るのもおかしくないしこの時間に出歩くのも別段おかしくない。
お互いのバイト先は仕事に差し支えが起こる事を避けてあえて教えていないし今のところお互いバイト先で出会う事はなかった。
今日になって初めて会ってしまう。
そんな事が今問題ではない。
「隣の人は…誰?」
「ん〜?みーちゃんお客来たよ?私厨房の方見てくるからよろしく〜」
そんな声が聞こえたような気がする。
でも私の耳には届いていない。
身体が全く動かない。
(その人は誰なの?なんで女の人と一緒にココに来ているの?)
思考は完全に単純化している。
でもその思考の一回一回が私の心に突き刺さるようにショックを与えていく。
「………ッ!!…」
真理香さんが何か言っている。
しかし、私の思考は今完全にシャットアウトしている。
私に今残っている思考は唯一つ。
(私を…もう置いていかないで…)
そのまま私は突き刺さる痛みを生む思考の渦へと意識が飲まれていった。

気がつくと私は暗闇の中。
立っているという感覚はあるけど光がないからなのか何もないのかあたりは暗闇が佇むのみ。
上下左右どころか本当に立っているのかというのも怪しくなる。
(やっぱり…私は…)
胸の奥に痛みが走る。
また思考の渦に飲まれそうになる。
考えが生まれる度に強い衝撃が私の心を打ちのめそうとする。
(私なんか…生まれてこなければ…)
完全に飲まれてしまう寸前に何かの気配を感じる。
私はその気配の方へと気力を振り絞り視線を向ける。
そこにはどこか遠い記憶の中にある男性とちいさな女の子がいた。
私は思わず声を上げる。
「お父さんッ!!お姉ちゃんッ!!」
しかしその男性はちいさな女の子を連れて暗闇の奥へとこちらを振り向かず歩いていってしまう。
「待ってよ!!もう、私を置いていかないでよ!!」
もう、顔も忘れてしまった二人。
でもどこかでまた会えると信じている二人。
私の唯一の…家族。
私の守るべき存在。
その存在を再び見つけることができた。
私は大声を上げて追いかける。
しかし、追いつかない…いや、追いつかないどころかどんどん離れていく。
そんな半ば諦めの心が過ぎった時だった。
「そうか…美波はそっちを選ぶんだな…じゃあな」
その声に私は振り向く。
そこには裕也と…先ほどの女性。
「そんな訳じゃ…」
しかし、裕也達も既に闇の方へと歩いている。
両者は既に闇へと飲まれようとしている。
「どうすればいいのよ…もう、何も失いたくないのに…」
周りの闇が濃くなっていく。
その闇が私を討つように心を刺す。
あの時感じていたショックは既に心を刺すナイフになっていた。
「もう…何も…」
私は唯立ち尽くし叫ぶ。
「───ッ!!」
しかし心に刺さったナイフは私の声を殺していた。
上げたはずの私の願いは口から吐かれる前に虚空へと消える。
(もう…こんなの嫌だよ…)
そんな思いが届いたのか…お姉ちゃんが私の方を振り向いてくれた…

「お姉ちゃんッ!!」
私は思わず叫ぶ。
「悪かったわね。お姉ちゃんじゃなくて」
気がつくと私は闇から戻っていた。
意識がはっきりと戻ってくると目の前には苦笑いをした真理香さんと部屋から出て行く乃依さんがいた。
(ん?部屋?)
まだ頭が回っていないようだ。
頭を整理する為に傍にいる真理香さんに尋ねる。
「ここ…どこですか?というか…仕事は?」
その言葉に苦笑いのまま答えてくれる真理香さん。
「ここはスタッフルーム。みーちゃんいきなり意識飛んじゃってたから乃依に仕事やってもらってたのよ。多分疲れかなんかがいきなり出たんじゃないかって店長が休憩出してくれたからこのまま帰って大丈夫みたいよ?一応今日の予定分の給料は出してくれるみたいだし…ちなみに客も最後の1組が残ってるだけだから乃依もさっきまでいてくれたんだけどね…」
乃依さんとは正直あまり関わりがない。
そもそもバイトの時間がずれているので会う事自体が少ないのだけれども一緒になったとしても真理香さんが間に入らないとなんとなくギクシャクした雰囲気となってしまう。
その分真理香さんは仲がいいみたいだけども。
(そうか…後でお礼言わなきゃ)
「それにしても…一体どうしたの?何か呟いてたり寝言も魘された感じだったし…」
「えっと…何呟いてました?」
今の私には知られたくない事は少なからずある。
正直踏み込まれたくないテリトリーは存在する。
「たしか…ゆうやがなんとかとか離れたくないだとかお父さんとかなんとか…」
「あ〜…そうですか…忘れて下さい。ちょっと嫌な事思い出しただけです」
「そう…そうならいいけど…あんまり無理するなよ?私達は仲間なんだし相談してくれたら力になれると思うから」
少し心配そうな感情を混ぜた笑顔で真理香さんは答えてくれる。
(これだから真理香さんは頼りになるんですよね…)
その中私は一つ気になる事が出てくる。
私が倒れる原因にになった出来事…
「最後の1組って私の倒れた時のお客さんですよね…今まだ居ます?」
「ん〜…さっき乃依が食後のコーヒー出してくるって言ってたからまだいるんじゃない?そろそろ出るのかも知れないけど…」
その言葉を聞き私は素早く立ち上がる。
「私、上がります。お疲れ様です」
私はその言葉を残しロッカーへと向かう。
「明日は非番だよね〜?ちゃんと休めよ?お疲れ〜」
その言葉を受け取りさっさと着替えを済ました。

見上げる空は少し曇り、月も星も隠していた。
(なんか…嫌な空だな…)
さっきの心への衝撃が蘇ってくる。
私はそれを振り払う為に今は自分のすべき事に集中する。
私が立つは『トワイライト』の近くの路地。
悪いとはわかっているけど…私は止める事はできなかった。
(悪いけど…今日問い詰めさせてもらう)
裕也と女性が店から出てくるのがわかる。
何か会話をしているのはわかるけど内容までは届いてこない。
でも…その姿はとても楽しそうに見えた…

裕也の後を追い10分程度であろうか。
歩く方向は裕也の家ではない。
(もしかして…あの二人…)
そんな嫌な予感がする。
それと同時にそんな事はないはずと自分で打ち消しをいれる。
そうでもしないと私は再び渦の中へと飲まれてしまいそうだから…
そんな事を考えた瞬間裕也と女性は軽く話したような素振りをして別れていく。
女性は一軒のお店の裏へと、裕也は裕也の家がある方へと足を向けていた。
私はこの時を待っていた。
裕也が一人になる瞬間を…

「裕也…さっきの人…誰?」
裕也の行く先を塞ぐように目の前に出てきた私の開口一番の台詞。
私の出現に裕也は慌てているようにも見えた。
「美波?…どっ…どこから見てたんだ?というかつけてたのか?」
明らかに怪しい言動。
私の心は少しずつ蝕まれていく。
「裕也がレストランから出てきたぐらいから」
私はあそこで働いていた事を伏せて嘘を吐く。
なんとなく今は知られたくないような気がしたから…
「そうか…ということは…まぁ、いいや」
勝手に自己完結している裕也。
私の目が涙を湛え始めるのがわかる。
顔を裕也に向ける事ができなくなってきた。
「あの女の事だよな…」
自分で尋ねた事なのに返事ができなかった。
握られた拳が微かに震える。
「あいつは俺の姉貴だよ。結婚して今は家にいないけどな」
(そんな嘘いくらでも吐ける…それは本当なの?)
疑心暗鬼が私の心を占めはじめる。
もしここで少しでもマイナスのショックがあれば私は再び思考の渦へ飲み込まれていくだろう。
「今日はさ…ちょっと買い物に付き合ってもらってさ…」
その言葉に私は何とか言葉を紡ぐ。
「だっ…だったら私を誘ってくれたらいいじゃない…今度会う時じゃいけない程急ぎなの?何で女性を誘わないといけないの?」
私の声は明らかに涙声。
(いっそ…裕也を私だけのものに…)
そんな考えが生まれる。
それどころかどうすれば実効できるかなんて考えも生まれる。
正直…最低だった。
「…わかったよ…白状する」
その言葉が紡がれた。
その返答次第で私の行動が決まるだろう。
諦めなのか決意なのかわからないけどその時私の意識はさっきまでの混濁さが嘘のようにはっきりしていた。
「あのさ…美波の誕生日さ…そろそろじゃないか…だからなにかプレゼントをって…」
「それで?」
嬉しいはずの裕也の答えに私は冷徹に次の言葉を要求する。
まるで私が私でないような感じだ…
「俺、女性の好きな物とかわからないから姉貴に付いて来てもらったんだよ」
「それは…本当なのね?」
疑心が心から去らない。
「…本当だ。って、言っても多分今俺が何言ったって美波は信じる事はないよな…」
その言葉を聞いた時に少し私の心が揺らぐ。
(これに続く言葉って…)
闇に漂っていたあの時の光景がフラッシュバックする。
同時に私の心に衝撃が加わる。
心が乱れる…
「駄目…」
そう呟いた気がする。
その言葉に裕也は驚いたような顔をした。
身体は言うこと効かないのに目に見えている光景ははっきりとわかる。
でも抑えようとする言葉はどんどん紡がれていく。
それこそ決壊したダムのように…
「駄目ッ!!裕也が誰を好きになっても構わない!!私から心が離れても構わない!!私以外の人と何したって私は構わない!!だから…だからせめて私を傍にいさせて…私には裕也しかもういないの…」
目の前が潤んで見難くなっている。
あれ程一度冷静になっていたのが嘘のように…
「もう…一人は嫌なの…嫌なの…」
波打つように再び私の心に衝撃が加わる。
視界が闇に閉ざされ始める。
そんな瞬間だった。
私の身体が抱きしめられる感覚。
その瞬間に意識が一瞬戻る。
「心配させてごめん。今度からはもっと美波の事考えて行動する。俺は…絶対に美波を離さない。一人にはさせないから…」
裕也の言葉が私の身体に溶け込むように全身に染み渡るように心地よい感覚を与えてくれる。
私の意識は闇から開放される。
その瞬間だった。
私の口から本心が零れる。
「裕也が他の人と一緒にいるなんて考えれなくてショックだった…我侭だよね…裕也だって付き合いとかあるはずなのに…」
抱きとめられながらそんな言葉を零していた。
「俺の方も変に隠したのがいけなかったよな…あんな奴が姉貴だと知られると幻滅でもされるかと思ってさ…」
(いまさらそんな嘘いらないのに)
さっきの女性を姉というのはやっぱり嘘のような気がしてならない私。
(あんな大人っぽいスタイルの良い女性が身近にいれば私なんか見向きされないだろうし…)

相変わらずの状態でしばらくいると先ほど女性が入っていた店から窓を開ける音ともに顔を出す女性。
そして私達を確認しただろう時に私達と目が合うと一言。
「愚弟よ…店の前でよくんな事できるよな…バイト代削られたくなかったらさっさと帰れ」
その言葉に私は思わず驚きの声と共に思っていることを口に出していた。
「えっ!?本当に姉弟?」
「だと言っただろ?信じてなかったのかよ…」
とりあえず離れてお姉さんの方を向くとにっこりとした笑顔で私に喋りかける。
「あんたが愚弟の彼女ね…俺からもひとつよろしく頼むよ。こいつ見捨ててやらんでな…っと」
そこまで言うと裕也の方を見ると少し険しい顔をして一言。
「さっさとその子送って帰れ。こんな時間だと親御さん心配してるだろうが…このままどこか連れ込んだりしたら命はないと思え。そういうのは卒業してからにしろ」
その一言を残し窓をビシャリと閉める。
そんな様子を二人苦笑いで見つめていた。

「さて…送っていくよ。美波の母さんも心配するしな」
夏の夜空の下そんな言葉と共に家路につく。
黙ったまま二人手を繋ぎ家へと向かう。
ここから家までは精々10分程度。
短いような長いようなそんな時間。
疑惑が晴れたからだろう。
私の心は晴やかとなっていた。
ただ二人で歩いているだけなのにどこか嬉しい。
少し浮かれながら歩く家路。
(どうか…この時間が続いて家に着かなければいいのに…)


戻る inserted by FC2 system