No18喫茶店

静かなクラシック曲が流れ鼻腔を擽る珈琲の香り。
常連様と語らいながら静かに一日を過ごす。
私が望んだ生活は半ば叶ったものだったのですが少しだけ誤算が。
「姉さんはもう少し慎みを持ったらどうですッ!!」
「俺のこれがむしろ魅力なんだよッ!!というかお前はもう少し姉を敬えッ!!」
なんというか…静穏というのは訪れそうもないのです。

午前6時半。
そろそろ開店の時間なのですがまだいつものように姉弟喧嘩をしている二人に私はこれまたいつものように朝の一杯を淹れるのです。
「恵子さん、そろそろ開店の時間ですので落ち着いてください」
私の奥さんでもありこの店の調理を担当して下さっている恵子さんに私はカップを差し出す。
「むっ…すまない。俺とした事がちょっと大人気なかった」
少し拗ねたようにカップを受け取る恵子さんを見ていると今日も一日が始まったと思える位にこれが今となっては日常となってしまっているのです。
私は恵子さんの額に軽く口付けをするともう一つ淹れたカップを彼女の弟でありこの店の手伝いという名目のバイトをしてくれている裕也くんに渡す。
「裕也くんはすごいですね。私だとあそこまで強く言えませんよ。だけど少しは手加減してあげて下さいね?」
「全く…夏雄さんは姉さんに甘すぎるんです。どうせ家事なんて一切やらないんだろ?もう少しその辺位はちゃんと言い聞かせてもいいでしょうに」
私はその台詞に少し落胆を覚える。
「その…裕也くん?そろそろ私の事をお義兄さんと呼んでくれてもいいのでは…」
私のその言葉に裕也くんは少し睨むような視線を私に向けて一言。
「マスター、開店の時間ですので準備を」
その一言を投げ掛けてカップを流しに置くと店の看板を掛け返る為なのか店の外に出て行った。
(今日もまた駄目でしたか…)

午前7時。
店は開店と同時に1人の常連様がやってきます。
「全く…お前はいい加減に家で集中してやった方がいいんじゃないか?」
「だったら恵子さんが私の部屋まで来てお茶菓子作ってください。一日の活力をそれで私は補ってるんですから」
その常連様は近くにある関条環境大学の生徒さんです。
一時期自分のやりたい事がわからなくなってしまい休学をした後に医学部へ編入する為に頑張っている方です。
この店の常連になって頂いたのは休学中でした。
今は学校側から編入用にと出されているレポートに追われているそうです。
「…っで、後どれぐらいなんだ?今月末提出だろ?あと幾日もねえが」
「恵子さんの愛があれば今日にでも書き上げれます。主に糖質でできた頭に栄養が回りそうな愛で」
その言葉を聞くと恵子さんは「仕方がねえ」と一言呟くと奥の厨房へと入ってしまいました。
その姿を確認すると私はこっそりと彼女に訊ねました。
「本当はどれぐらいできてるんです?」
その言葉に満面の笑顔で一言。
「ばっちし、今日提出に行ってくるよ。これが終われば後は編入試験だけだしね」
その言葉を聞いた裕也くんは言葉を漏らします。
「だったらそう姉さんに言えばいいじゃないか」
「それもそうだけどね…でも恵子さんにそう言うと「少しは頭に栄養回せ」ってお菓子のサービスがなくなっちゃうじゃない」
確かにパティシエールである恵子さんの製菓技術はすごいです。
それが目当てで来るお客様もいるぐらいですから。
そんな話をしていると恵子さんが厨房から帰ってきました。
「まったく…いい加減期限ヤバイんだからこれやるからさっさと帰れ」
そう言うと恵子さんはラッピングされたチョコレートを渡す。
「ありがとうございます。では約束通り今日中に提出してみせます」
その一言と共にカップの中身を飲み干すと代金をテーブルに乗せて「ごちそうさま」の一言を添えると颯爽と去っていってしまいました。
「またのご来店お待ちしてます」
すっかりと姿が見えなくなっているのに裕也くんは形式ばって挨拶をしながら代金の回収とレジ打ちをしていました。
そんな様子を見ている私に恵子さんが私に耳打ちしてきました。
「あいつ…本当に大丈夫だよな?何時も苦労している節があるがあいつはやっと進みたい道が見えたのに駄目になることなんてないよな?」
何時もは少し人より偉そうな態度を取ってしまう恵子さんですがやっぱり本心はこういう人なんだなとこういう時に再確認させられてしまいます。
「大丈夫ですよ。あの子はやると決めたらちゃんとやってくれます。その証拠にちゃんと毎日このお店で一杯飲んでくれているじゃないですか」
「まぁ、数度に渡ってサボったけどな」
それは過去に交わした小さな口約束。
まだあの子が道に迷っていた時に少しだけアドバイスをして相談役に立候補した私達と交わした些細なもの。
忘れてしまっていてもおかしくない会話の中の一言だったのに彼女も恵子さんはちゃんと覚えている。
「でも、次の日はサイドメニューとかでちゃんと空白分の売り上げは貢献してくれてましたよね」
「…そうだったな」

午前10時
朝の常連様も帰り、お昼までは少し遠いこの時間。
一日に数度ある暇な時間ですが、この時間にやってくる常連様もいます。
「ただいま〜」
お店のドアを開けての開口一番がこの台詞。
その言葉に恵子さんは「ここはお前の家じゃねぇっつうの」と邪険にしますが私にとってお家のようにくつろいで頂けるのは本望なのです。
「まぁまぁ、恵子さんもそのぐらいにして…おかえりなさい」
私はその一言と共に珈琲を差し出します。
「いつも思うのですが、病院の方はいいのですか?大学の方の先生とも兼ねているとも聞いてますしこのような時間に此処にいても…」
「ん?まぁ、私の講義は午後だけにしてもらってるし病院の方は大病とか大怪我じゃない限り私は出ないからねぇ〜…この時間までに書類片付けておけばゆっくりとここでお茶できる時間は割けるよ?それにケイちゃんもいるから流石にここに来る事を欠かすわけにはいかないよ」
「俺は来てもらわなくても結構なんだがな…」
少し困惑した表情で言う恵子さん。
恵子さんとの関係は高校時代の同級生だそうでかなり親しかったと聞きます。
それこそ卒業して数年たった今でもこのお店に通い続けてくれるぐらいに。
「つくづく思うがお前頭いいよな…なんで俺と同じ高校にいたのか不思議に思うぐらいに」
「要領が良かっただけですよ。それにあまり縛られたくなかったですし」
彼女は私達と年齢は然程変わらないのですが既に自分の病院を持っていらっしゃる程です。
しがない喫茶店の主とは天と地の差があるぐらいなのですが…
「要領が良いだけで一病院の主は凄いですよ」
私は素直に言ったのですがその言葉が気に入らなかったようで彼女は少しムスっとした感じで言い出しました。
「私としてはこんなにおいしい珈琲とお菓子が作れる2人の方が凄いけどな〜。私はこんなのは作れない。結局なるべきしてなった結果じゃないのかな…そうそう、そういえば最近有望株がいてさ〜、来年度には編入してきそうなんだよ。そのまま卒業後は私のところで働いてもらおうかな〜って」
「またお前の奴隷が増えるのか」
「奴隷じゃなくて助手ですって〜」
そんな会話が繰り広げられながら午前の時間は過ぎていきます。

午後2時
再び訪れる少しだけ暇な時間です。
「やっぱり、この時間は誰もいないな…」
「俺がここでバイトしてからこの時間に人がいた事がないよな」
「あはは…」
少しというのは語弊があるかもしれません。
そんな会話の中、カランコロンと店のドアのベルが鳴り響きました。
「いらっしゃいませ」
透かさず裕也くんは接客の体勢に入って接客するのですが…
「なんでお前らが2人そろって来るんだよ…」
そこには最近よく通ってくださるお客様が二人。
別々の時間に来ていただいているのでどういう仲かは知りませんが少なくても裕也くんとは同じ学校に通ってらっしゃることは知っているのですが…
「別にいいじゃないですか。委員の仕事の帰りに奢ってくれると言うので来ただけです」
「そういうことだって。まぁ、とりあえずいつものな」
「はいはい、そっちもいつものか?」
「そっちとか失礼ですね」
(そんな会話をしている裕也くんがいつもより楽しげなのは気のせいでしょうか)
私はそんな事を考えながら注文の品を淹れて彼らの会話に耳を傾けていました。
「しまった、お前が入れた砂糖の数見忘れたッ!!」
「お茶菓子があるなら私は入れないわよ。余分に糖分採っても仕方がないしな」
「お前ら、ほかに客がいないからって騒ぐな…」

午後8時。
このお店も閉店の時間です。
「ありがとうございました」
最後のお客様が帰ると裕也くんはその足で看板の架け替えをやっています。
「まったく…今日は騒がしかったな」
カウンターに座り私と対面で話しかけてくれる恵子さん。
営業時間中では絶対にこんな体勢をとらない恵子さんですが、やっぱりちゃんと面と向かって話すのが一番です。
「そうですか?いつもと同じぐらいのお客様の数でしたが…」
「そうでもないですよ?一応今月の最高売り上げですし」
今日一日の売り上げを纏めた伝票を渡し見せてくれる裕也くん。
これが彼の一日の最後のお仕事です。
「お疲れ様です…っと本当ですね」
「だろ?いつもより疲れた…」
カウンターに倒れこむように伏せる恵子さんに苦笑しながらも伝票の確認をしていますと一つある事に気づきました。
「来店してくださったお客様の数はいつもより少なめでしたね…単価が高いのが売れたのでしょうか」
「そりゃ、俺が追加で幾つか焼いたぐらいだし食いモンが多かったんだろうよ」
「それはそれは…お疲れ様です」
労いの言葉を投げかけていると裕也くんから帰宅するとの言葉が発せられました。
「では、お先失礼します」
「また明日、お願いしますね」
「さっさと帰れ〜」
彼が出て行くとこのお店の明かりを消す。

これで今日のお仕事は終了です。
のんびりとゆったりと営業しています私のお店喫茶『クラウド』本日の業務日誌をここで筆を置きます。


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