No9綱渡り

夏休みに入って既に外はセミの声で満たされていた。
私達陸上部は普段ならそのセミの声の真っ只中にいるはず。
だけど先ほど外と言ったように今私達は女子陸上部部室に集合していた。
時刻は10時過ぎ。
いつもならアップも終わり午前の記録を取り始めるような時間。
なのだけど私達は今日、この時間に集合が掛かっていた。
(全く…後幾日かで大会だって言うのに…)
私は溜息を吐きながら部長を睨む。
部長はこちらの視線に気づきながらも時計を確認して声を発し始めた。
「おはよう諸君。本日の部活動は晴陽祭についてであるッ!!」
その発言に部室内は凍りついた。

晴陽祭─我が晴陽高校が行う文化祭のことである。
内容としては普通の文化祭であるがこの学校は文化部のみならず運動部や教師も出し物をし盛り上げているこの学校一のイベントであり、この期間中である2日間は外部の人間も自由に出入りができるので近所や隣町程度ならよく人が来るし、ほかの学校の生徒や入学希望者達が見学に来るなど毎年盛況を博す。
しかし、何故文化部以外にも力を入れるのかというのも少しカラクリがある。
多くの文化祭は文化部がメインに置かれるがこの晴陽祭では学校関係者全てが何かしらやっている。
その理由は臨時ボーナス争奪コンテスト。
運動部部門・文化部部門・クラス部門・教師、学校関係者部門・総合の5部門存在し、来場者・生徒・教師と兎に角期間中学校内にいた人間全てに3票の投票権が与えられて気に入った出し物に対して票を入れるというシンプルな仕組み。
全2日間の間に集まった票を集計し、部門ごとに順位を競う。
以前あったらしいのだが3票を全体の出し物で振り分けるのである部門では全て0票なんてこともあったらしい。
余談は置いとくとして、この各部門の上位チームにはボーナスが与えられる。
部活動には部費が特別加算され、クラスにはクラス費…とはいっても結局は打ち上げで全部消えるけどね…と教師・学校関係者には冬のボーナスに影響が多大にあるらしい。
それこそ問題にはなったが教師の出し物がかなりの好評を博してしまったためのと地域住民や市長などが大いに結託して不満の声を握りつぶしたとも聞く。
全く無茶苦茶な話である。
話は戻しボーナスだが総合でも同じこと。
総合部門は全部の出し物で競うため結局各部門の上位者がランクインするのだけれども毎年趣向を凝らした逆転システムが存在しているのも見所の一つだ。
さて、もう一つ。
私達が何故女子のみで出し物の話になりつつあるかだ。
陸上部なら別に男女が分かれる事はないだろう。
まぁ、出場自体は男女別だが態々女子陸上部とする必要はない…はずなのだけども…
「私達女子陸上部は男子との決別の為に生まれた部活だ!!何故決別したかッ!!それは私達の自由の為であるッ!!」
などとのた打ち回る部長。
この陸上部が分かれたのは2年ほど前らしい。
つまりこの部長が無理やり分けたそうだ。
破天荒な部長ではあるが1年生からこの行動力と有無を言わさないような統率力で人気はかなりある。
つまりは人望があるのだ。
まぁ、この部長やら部活の事なんて今はどうでもいい。
今の時期は大会が近いというのにまだ先の晴陽祭の話だというのだ。
「全く…大会の方はどうするんですか…」
私は溜息を吐きながら突っ込む。
部室内の3年生を除く部員は一斉に頷く。
やはりこの時期は練習1本が例年であったのにだ。
「大会?んなもん出れんぞ?」
「はい?」
部長の扱いに慣れ始めている私はいいけど他の部員は完全に固まっている。
というか流石の私だって固まっていた…

「今度の大会なんだが顧問が参加登録するのを忘れてな。出れんのだよ。だから開き直って部費獲得に向けて晴陽祭の準備をだな…」
「そんなんでいいんですかッ!?」
確かに登録されてないなら出れないししょうがないけど最悪個人参加ぐらいならまだ間に合うだろうし、夏の間なら長距離関係ならまだ間に合う大会だってある。
それに…
「部長達は最後の年なんですよ?そんな簡単に諦めていいんですか!?」
3年生である部長達は晴陽祭で引退する。
その後に控える秋の大会は出れないのでこの夏が最後なのに…
しかし部長は相変わらず笑いながら言葉を続ける。
「朝菜は本当にいい子だな。次期部長に本当に相応しい」
「今はそんな事どうだっていいんです」
その一言で部長は少しまじめな顔をしそれでも口は閉じない。
「最後だからだよ…確かに最後に3年間の練習の成果を示せれないのは悔しいさ。それはここにいる3年生全員同じ考えであって思いだと思う。無理やりにでも私に付いてきてくれた人間だからね」
この部活…女子陸上だけれども分裂の際は反対意見も多かったそうだ。
あちらの陸上部に残る人間も多かったそうだし今でも陸上部の方に入る女子は多い。
基本女子陸上は無いものとして扱われている。
顧問や練習メニューが違うだけで同じものとして扱われているのだ。
練習場所も道具も部長達3年生と今はOGの先輩達が掻き集めてきたモノ。
そんなにも頑張ってきた部長のはずなのに…
「だけどさ、出れないならどう足掻いたって仕方がない。個人で出たり走りだけで出るのはちょっと違うじゃない?美奈は槍投げだし瀬那は高飛びでしょ?結局全員は満足に大会出れないのよ。なら全員満足できるし参加できる晴陽祭の準備の方がいいじゃない?まぁ、後輩諸君が納得いかないなら個人的に大会に参加して頂いて構わない。しかし、私たち3年生は全員一致でこの晴陽祭に賭ける事とした」
きっぱりと言い張ると部長は私達から目線を一切外さない。
その目には一切の迷いがなかった。
「はぁ…わかりました。っで何をするんですか?今年は…」
「流石、朝菜はわかってるわね」
部長は笑顔に戻ると私を抱き寄せ頭を軽く撫でる。
(まったく…この人は)

部室内の士気は十分に高まっているようだった。
元より今の3年生に…部長に付いていきたいという意思で集まったも同然のこの部活に反対意見を述べる人間は限りなく0に近いだろう。
そんな空気を読み取ったのか部長は内容について話し始めた。
「今回の企画は大会に出れなかった鬱憤を晴らすために身体を動かす企画…サーカスに挑戦しようと思う」
今日何度目だろうか。
部長の突拍子のない発言と私の溜息と部員の硬直が部室を包む。
「…私達に火の輪潜りや空中ブランコや綱渡りをやれと?」
私は明らかなジト目というやつを大いに部長に送りながら言う。
しかし気にせず部長は言葉を続ける。
「部員の皆を危険な目に合わせる訳にはいかない。だから入念な練習や準備はする。それにサーカスというよりパフォーマンス要素を多く取り入れた部活だと思ってくれて構わない。寧ろ陸上というより新体操的な演技だと思ってくれて構わないよ」
「新体操的?」
思わず突っ込む私。
「とは言っても何をするとかほとんど決まってないんだけどね。しかし、朝菜にはぜひやってほしい事がある」
「なっ…なんですか?」
思わず動揺する私。
(私やってほしい事って一体…)
「練習の準備は綾花くんに既にやってもらってある。私に着いてきてくれたまえ」
そういうと部長は部室から出て行く。
私はその後を続く形で部室を出て行った。

着いたのは校舎の一階のとある教室。
そこには一つの窓が開いていて窓枠には器用にロープが縛られていてその先は外へと続いていた。
「まさか…部長?」
いやな予感に私は現実を逃避するようにその予感された行為を口に出せずにいた。
だけど部長はきっぱりと言う。
「綾花くんが用意してくれたからちゃんと使わないとな。では朝菜、綱渡りできるよな?」
できる前提であった事に私はもうそれが当たり前のようになっている溜息を吐いていた。

「…こりゃ無理だわ」
思わず私らしくない口調がこぼれる。
たとえ一階であろうとも落ちたら痛いに決まっている。
私は窓枠にもたれながらロープに足を置いてみるも直ぐにバランスを崩しそうになる。
そんな様子を見てか部長が声をかけてくる。
「そういえば綱渡りといえばなんか長い棒でバランスとってたな…ということで、ほい」
そういうとものすごく長い棒を私に渡してくる。
それは明らかに…
「高飛びのバーですよね…これ」
「すまんが今はこれしかない」
反省の色全く無しでいう部長に呆れながらもこのバーのお陰で結構バランスが取れそうだ。
(最悪落ちた時はこれを支えにすれば少しは安全かな…)

風が穏やかになった。
むしろ穏やかというレベルではなくほぼ無風。
私が渡るは校舎間の精々10メートル。
根拠はないけど渡れそうな距離。
私は一歩を踏み出す。
(あれ?本当に行ける?)
私の足は順調に進んでいた…

部長達が見守る中私は既にロープの真ん中にいた。
(そういえば綾花を今日見てないな…)
なんて余計な事を考える余裕もできていた。
しかしそんな時だった。
視界の端に人の姿が現れる。
携帯に目を向けていてこちらに気づいている様子はない。
(ちょっと!!立ち入り禁止とかにしてなかったの!?)
思わずパニックになる私。
それが仇となり私のバランスは崩れる。
(やっ…ヤバッ)
地面と激突覚悟の私。
もうバランスを取り直す事は不可能だ。
そんな時だった。
「先輩ッ!!」
聞きなれた声が遠くから聞こえる。
その声が近づく様に聞こえた私は支えにしようとしていたバーを声の方とは逆に放り投げる。
無論その反動で私の身体はロープから落ちる。
(せめて受身をッ!!)
しかしいくら運動をしている私としてもこんな事態を予測しての練習なんてしてない。
思ったように身体は動いてくれないのがわかる。
私は覚悟をし、重力に身を任せていた。

私の背中に強い衝撃が走る…はずだった。
しかし衝撃も痛みも私に走ることはない。
(あはは…頭打って即死とか?)
不安駆られて目を開ける事ができない。
否、本当に開ける事ができないのかもしれないのかもしれないけど。
そんな中私にかけられている声が耳に届いた。
「先輩、大丈夫ですか!?先輩!!」
(あぁ…やっぱり綾花だったか…)
その声に安心できて私はゆっくりと目を開けてみる。
そこには目に涙を溜めた綾花の顔があった。
「心配かけちゃったね…」
私のこの一言が切欠なのか綾花は泣きじゃくり始めていた。

私はふと気づく。
何故私に一切の衝撃がなかったか。
私は綾花に抱きとめられていたのだ。
目を開けた瞬間に綾花の顔があったのはそのためだろう。
私が身体を預けている場所は明らかに地面ではなく綾花の身体自身。
私はおもむろに身体を起こすとその行為に思わず怒鳴ってしまった…
「綾花!!なんでこんな危ない事を!!バーを私が放さなかったら綾花に怪我をさせてたのかもしれないんだよ?それにタイミングがずれてたらお互いぶつかってたかも知れないし何より…」
私はそこで更に気づく。
私と綾花の体格差はかなりある。
小学生並みの綾花と高校生として平均の私。
受け止めた際の衝撃は考えたくもない。
その所為だろう。
綾花の足に怪我が見られた。
「何より…怪我しちゃってるじゃない…私の所為で…」
視界が涙の所為であろう…歪んで見える。
私は膝を突き綾花をぎゅっと抱きしめる。
「ごめん…ごめんね…」
今の私にはそれしか言葉にできなかった…

私は一通り二人で泣き通した後綾花を保健室に送り部室へと向かう。
本当は綾花に付いていたいけれども流石に今回はそういう訳にもいかない。
しかし部室に向かう途中で目的の人物が現れた。
部長だ。
「綾花くんの様子はどうだね」
いつもとは違う本当に真剣な顔で私を見る。
今まで見たことのない表情に私はすこしたじろぐが引くわけにはいかない。
「軽傷だそうです。でも範囲が広いので手当てに手間取っているそうですが」
私はありのままに伝える。
ここで脚色したって意味のないことだ。
「そうか…それは良かった…」
「なにが良かったですかッ!!」
人目など気にせずに私は叫ぶ。
相手が部長だろうが目上の人間だとか関係ない。
「あなたがこんな事提案しなければ綾花に怪我を負わす事もなかった!!部外者を巻き込む時点であなたは最悪だ!!綾花は親切心で私達に協力してくれていたんだ!!なぜ彼女が被害を受ける必要がある!!」
「それについては正直すまんかった。私とて彼女には…というより誰にも怪我はしてほしくなかったさ。あの時だって私も動いていたが彼女の方が速くてな…」
「言い訳なんて今はいらない!!あなたは彼女にどう責任を取るつもりだ!!そもそも何故あそこに通行人なんていたんだ!!」
頭に血が上っているのだろう。
正直自分の言葉は全て感情を吐露しただけのものだ。
しかし部長の方はいたって冷静だった。
「もともと通行の少ない場所だから大丈夫だと思ったんだよ…あれは完全に私のミスだ。…責任か…それについては彼女…綾花くんと話し合うとするよ。…では私はこれで」
そう言い放つと部長は私の横をすり抜け保健室へと足を向けている。
私は追うこともこれ以上言葉を続けることもできずにただ一人廊下の真ん中で嗚咽を漏らしていた…

私は一人部室に居た。
あの事故の後本日の部活は終了し各自解散となっていた。
綾花と親交が深い人間は見舞いに行ったりしているらしいが私はあの後行けていない。
あの様子だと部長が居るような気がしてまた怒鳴る事になるだろう。
綾花の前でそれは良くない気がする。
だから私は綾花の帰りを待つ為に部室に残っていた…

私が落ち込み始めていた頃だった。
コンコンとドアをノックする音がする。
「はーい」
私は思わず返事をする。
それと同時にドアが開き私は振り向く。
そこにはにこやかな笑顔の綾花が立っていた。
私は思わず立ち上がり駆け寄ると綾花を抱きしめる。
「今度からは絶対にあんな目には遭わせないから…」
身長差かなりある私達。
綾花が裾を軽く引っ張る。
それはいつも私に屈めという綾花の合図。
いつもなら私のリボンを直してくれたりという時に使う合図。
私は合図に従い綾花の目線と同じぐらいまで屈む。
その瞬間綾花の顔がいつも以上に迫り…私と綾花の唇の距離はゼロになっていた。
軽い触れる程度のキス。
私は唖然とすると唇を離して綾花は一言。
「これで今日の事はチャラ…私は満足です。もとより先輩に怪我がなければいいんです。そうじゃないと私が悲しいですし…」
そう言う綾花の言葉に思わず涙が溢れてくる。
「私だって綾花に何かあったら…」
その言葉を期に私は床に膝を突き泣き崩れていた。
その私を綾花が優しく抱擁してくれて頭を撫でてくれる。
いつもとは真逆の立場になっていた…

あの後部長は全部の責任を負っていたらしい。
普通なら顧問の先生が咎められるのだが全く関係ないと部長が突っぱね全ての責任を背負うとしていた。
その責務の所為だろう。
部長に対しては学校側の進学・就職の斡旋は一切受けられない状態になっていたらしい。
進路も絶望的な状況まで追いやられていた。
この事件は公にはならずとも学校間では流れていたのだ。
それに1ヶ月以上も自宅謹慎を言い渡されていた。
私がこの事を知るのはもっと後…私がこの部の部長になってからの話。
それよりも前に晴陽祭で恥ずかしい目に会うのもまた別のお話…


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